世界の未来を変える日本人「コペルニク」中村代表の挑戦に迫る

世界中から寄付を集め、途上国の最貧困層へローテクだが創造性に富んだ製品を届ける団体、コペルニク。

一人一日一ドル以下で暮らす貧困世帯の生活が、ソーラーライトや水運搬機一つで大きく変わるかもしれない・・・。シンプルだが可能性に満ちあふれた活動を立ち上げた中村俊裕氏に迫る。

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生い立ち~国連への憧れ~

大阪で生まれ育った中村氏は、大学までは完全なるドメスティック人生。冷戦終結後、民族紛争が多発し始めた90年代前半に普通の高校生だった氏は、明石康夫氏や緒方貞子氏の活躍を見聞きし、漠然と国連に憧れを持つようになる。

しかし、それだけで行動に移すのは難しい。国際法が学べるだろうと京大法学部に進学するが、まだ国連への憧れは漠然としたもの。しかしついに京大卒業後ロンドンのLSEへ留学。ここから中村氏の世界を股にかける活躍が始まった。

LSEでは当初英語で苦労するが次第に克服。しかし国連とは何のコネもない。何十通も履歴書を出すが返事は来ない。そこでフランス・リヨンへ語学留学を決行。仏語を学びながら国連へ手紙を出し続けた。

そして、難民高等弁務官事務所からの返事・・・。中村氏はついに憧れの国連へインターンとして採用されることになった。その後、国連社会開発研究所でリサーチ業務をすることになる。

マッキンゼーから再び国連へ

だが、一度はビジネスの世界を覗いてみたいという思いからマッキンゼーに入社。大企業のコンサルタント業務を経験することにより、国際ビジネスの最先端レベルを肌で感じ取った。これが後にコペルニクでも重要な意味を持つ。

そして再び国連に復帰。国連開発計画でインドネシアから独立したばかりの東ティモール事業に携わる。21世紀最初の独立国東ティモールには、全くと言っていいほど国家としての基盤が無く、文字通り”一からの”国作りを経験。

ノルウェー、スイスでの勤務を経て、スマトラ島沖地震の復興事業のためにインドネシア入り。ここで、後に公私ともにパートナーとなるポーランド人のエヴァと出会う。ちなみにコペルニクとは、地動説を唱えたポーランドの天文学者コペルニクスのポーランド語読みだ。

その後、世界の最貧国であるアフリカのシエラレオネの国家基盤整備に参加。ここで中村氏は、国連でのダイナミックな仕事に満足しつつも一つの疑問を持つことになる。

「自分は”インパクト”を出せているのか?」

途上国では、政府関係庁舎があるエリアから一歩出たら、まったく違う世界が広がる。地方ではそのギャップはさらに顕著だ。一年間その国を良くしようと働いても、庶民生活には何の影響も与えられない・・・。

世界からの援助は”ラストマイル”には全く届いていなかった。

コペルニク

コペルニク立ち上げ

トップダウンでは時間がかかりすぎる。貧困とは連鎖であり、時間や選択肢の無さがまた新たな貧困を生む。そんな連鎖の中にいる人々は、何を変えたらいいのかさえ分からないのだ。

そんなもどかしさから、ニューヨークにてエヴァや友人たちとコペルニクの構想を練り、ついにコペルニクはスタート。TEDや様々なシンポジウムで積極的に講演を重ね、賛同者も次第に世界中から集まった。

貧困地域とコペルニクを繋ぐ重要な協力関係を結ぶ地元団体も増え、届ける製品の種類も増えた。製品を届け、現地に滞在しながらデータを収集するフェロー志願者も世界各地から集まり、バリのオフィスには30人以上のスタッフが働く。

途上国に関心を持つ企業向けコンサルタント事業も始め、大企業との協力も始まった。今までは途上国の都市部だけを見ていた日本企業も徐々に農村部にも関心を持つようになってきた。

取り扱う製品を紹介・販売する小売店テックキオスクは、2014年末にはインドネシア全土で100店舗になる予定だ。

しかし、まだまだ世界の人々の大半は貧困の中で喘いでいる。中村氏にとってのブルーオーシャンは、果てしなく広い。