華やかに彩られるバリ・ヒンドゥーの死生観とその未来

良く晴れたバリの長閑な昼下がり、広い原っぱに村の男たちが集まりだし、何やら丸太を組み始める。しばらくすると賑やかなガムランの音が遠くのほうから聞こえてくる。色とりどりに着飾った女たちも集まりだした。

様々な出店も並び、子供たちは大喜びで走り回る。派手な神輿が原っぱに入ってくると、ガムランはいっそう激しく鳴り始め、長いマントラの詠唱が始まる。そして、神輿は炎で包まれる・・・

バリ島 ヒンドゥー 葬式 火葬

土着文化とヒンドゥー教との融合

バリ島の日常生活は、数多くのセレモニーで埋め尽くされている。この地を訪れローカルエリアに一週間も滞在すれば、かなりの確率でお祭り見物ができるだろう。大音量で鳴り響くガムランと共にド派手な神輿を担ぎながら荒々しく集落を練り歩く男衆。もちろん激しい交通渋滞を巻き起こしながら・・・。

この島で目撃されるそんな光景の多くは、お葬式である。

イスラム教徒が大多数を占めるインドネシアにあって、ヒンドゥーの文化が息づくバリ島は特異な存在だ。

かつてこの島は部族ごとのアニミズム信仰が並立していた。一方、隣の島ジャワでは長年にわたるインド・中国との交易により、独自のヒンドゥー・仏教混合文化が栄えていた。しかし、16世紀にジャワがイスラム勢力に支配された結果、大規模な宗教難民がこの小さな島に押し寄せることとなる。

ジャワからもたらされたヒンドゥー・仏教とバリ古来のアニミズムは長い年月をかけて融合し、この島独自のバリ・ヒンドゥーが生まれた。

インドネシア独立後、バリ・ヒンドゥーはそのアニミズム色から国家認定宗教とは認められず不遇の時代を過ごしたが、唯一神への帰依を国民の義務とするインドネシア政府の要請を受け入れ、現在の”ある程度体系付けられた”姿へと変容することになる。

バリ人の死生観

「人は永遠に輪廻転生を繰り返す」

こんな死生観をもつバリ人にとって、死とは終わりを意味しない。インドのヒンドゥーや仏教にある”解脱”という概念もない。しかも生まれ変わる先は、前世でどんな悪行を働こうと必ず人間であり、しかも親族の一人として生まれ変わる。

バリ人は死ぬと仮埋葬され、魂を浄化する儀式である火葬の日を待つ。火葬には莫大な費用がかかるため、死から数か月、時には数年かかることもあり、場合によっては複数で合同開催される。遺族はその間お金を貯め、死んだ当人はより素晴らしい霊になるために修行するのだという。

晴れて火葬の当日。掘り起こされた死体はド派手な神輿の数々と共に家から村の聖なる原っぱまで移動する。途中わざと遠回りしたり、辻で叫びながらぐるぐる回ったりするのは、死者の魂が間違って家に帰らぬよう”迷子”にさせるため。

熱狂した担ぎ手に水をかけたり、笛を吹きならしながら誘導する係がいたりと、その光景は日本の祭りと区別がつかないほどだ。

バリ島 葬式 お祭り

原っぱには食べ物やおもちゃの売店が並ぶ。子供たちは楽しそうに走り回り、女たちは談笑する。賑やかに儀式が終わると、棺は神輿や故人の身の回りの品々と共に豪快にガスバーナーで焼かれる。

ある程度燃えたあたりで村の衆はぞろぞろと帰り始め、残るのは親族たちのみ。最後に遺骨を拾い集め、家で磨り潰して粉末状にする。それを若い椰子の実の中に入れて、川や海に流す。

その後もいくつかの儀式を経て、死んだ魂は完全に浄化され、無個性化される。そしてようやく各家の家寺に祀られている祖先霊に組み込まれる。能力の高い祖先霊は長く家寺に止まり、一族の繁栄を助けるそうだ。修行が足りない霊は、またすぐに現世へ生まれ変わる。

一族に赤ん坊が生まれると、105日目に先祖霊を迎え入れる儀式を行う。それが先祖の誰の生まれ変わりかは、占い師に決めてもらう。気に入った結果がでるまで何軒も回るそうだ。

多様化するバリ人の意識

このバリ人の死生観は、まるで水のサイクルのようにも見える。雨水が川になり、海へ流れ、蒸発して雲となり、雨となってまた島に降り注ぐ。流転する水のように、バリ人の魂は永遠に子孫へと受け継がれる。

しかし、そんなバリ人の意識にも近年ちょっとした変化が起こってきているようだ。少なくない若者たちが、そんな”過去と未来への縛り”から逃れたいと思うようになってきた。

「出来ることなら、もう生まれ変わりたくない。天国に行きたい。」

バリ人がこの永遠の流転から離脱するということは、共同体からの追放を意味する。特に家長となる男子にとっては、魂のサイクルを止めることは一族の重大問題であり、許されることではない。

様々な歴史・政治事情が重なり現在に至るバリ・ヒンドゥーの死生観は、当然多くの矛盾をはらんでいる。現代社会はそんな矛盾から生まれるジレンマを、若い心にいっそう強く感じさせるだろう。

一方で、この島の豊かな自然と力強い命の営みは、そんな矛盾さえも呑み込んでしまうかのようにも見える。

外国人たちがバリ・ヒンドゥー文化に抱く”片思い”も、残酷ではあるが、それを後押ししているに違いない。