分岐点を迎えたテレビ、「ソフトの充実」で返り咲くか?

分岐点を迎えたテレビ、「ソフトの充実」で返り咲くか?

現代人とテレビは、切っても切り離せない関係だ。世界で起こっている出来事は即座にテレビ放映され、我々は情報を得ている。テレビという発明品が人類史に与えた影響は、誰しもが認めるところだろう。

だが21世紀を迎えたテレビは、インターネットの普及によって明らかな苦境に立たされた。インターネットはテレビ以上に、豊富な情報と色彩溢れるエンターテインメントを我々にもたらしてくれるからだ。

テレビはすでに終わったのか? それとも、まだまだ現役で居続けるのか?

その問いの答えを考察するため、ここではまず「テレビを普及させた人物」を紹介しよう。彼の名はジョージ・レイモンド・ワグナー。いや、この名で彼を呼ぶ者はあまりいない。もっと知られた別名がある。

希代のプロレスラーにして人類初のテレビスター、ゴージャス・ジョージという別名が。

 

威風堂々の短足貴族

時は1950年代のアメリカに遡る。

エドワード・エルガー作曲の行進曲『威風堂々』をバックに花道を歩くのは、悪趣味なロングガウンを羽織った背の低い男。会場はこの時点で、彼に対するブーイングが湧き起こっている。

“蘭の如く華麗な男”と自称するゴージャス・ジョージは、ドイツ貴族ギミックのプロレスラーである。「観客の体臭がひどいから」という理由で会場に香水を撒き散らし、レフェリーがボディーチェックのために体に触れることすらも嫌がる。

「私の高貴な肉体に触れるな!」

だがガウンを脱いだその身体は、短足でやや腹の出た格好の悪い肉つきだ。観客は嘲笑し、さらなる罵声を浴びせる。

一方、ジョージと戦うレスラーはこの場では善玉だ。ゴングが鳴りジョージに攻撃を浴びせるたび、ファンの大声援が彼の背中を押す。レフェリーや観客に悪態を吐き、リングガールにまで手を出そうとしたジョージを叩きのめす正義のレスラー。彼の勝利の瞬間、観客たちは達成感に満たされた胸を抱えながら家路に着くのだ。

しかし、この興行の主催者にとって、そんなことはどうでもよい。問題はテレビの視聴率だ。このプロレスの試合を観るため、アメリカ全土で何万何十万という数の市民が街頭テレビに釘付けになっている。当時のテレビ業界は「どうせ一過性産業」とハリウッドから小馬鹿にされ、まだスポンサーもままならない状態の新興分野だった。

ドラマは映画館に行けばいい。ニュースは新聞を読めばいい。音楽はラジオで聴けばいい。では、テレビにできることは何か? その問いかけに答えたのが、プロレスだった。

予算も放送作家も持ち合わせていない黎明期のテレビ局にとって、プロレス中継はまさに命綱のようなコンテンツだったのだ。

 

ソフトはハードを育てる

“ハードの発達にはソフトの力が必要”という、現代では当たり前になっていることを示したのがゴージャス・ジョージという男である。家庭用パーソナルコンピューターを見ても、インターネットが出現する前は「家にあってもどう使えばいいかわからない」という代物だった。

そして今、そのインターネットが強大なコンテンツとしてモバイルIT機器の発達を促し、ジョージが普及させたテレビを圧迫している。テレビ局が制作する番組よりも、そして“プロレス”よりも魅力的なコンテンツが、スマートフォンの液晶画面のなかで躍動している。

ジョージのイノベーションの結晶は、過去の遺物となってしまうのか?

いや、むしろテレビ製造メーカーがジョージの教えを再確認することにより、テレビは新しく生まれ変わるかもしれない。

今月、全世界に5,000万人以上の会員を持つ米動画配信サービス『ネットフリックス』が、日本への提供を開始すると発表した。予定では今年秋からのスタートになるという。直後、各大手テレビメーカーは『ネットフリックス』対応の新型製品を年内までに発売すると打ち明けた。

 

近年のテレビ製造業界は、より綺麗な液晶画面、3D対応などといった“ハードの強化”に走ってきたきらいがある。だが、これから始まるのは“ソフトの充実”である。ゴージャス・ジョージが目指したことと全く同じ作業に着手したのだ。

そう、ジョージは今もテレビのなかで生きているのだ。彼の引退は、まだまだ遠い先のようである。

 

【関連記事】

※ このクールすぎる電動水上バイクは環境面もケアする

※ 地域イベントの成功・不成功はWiFiで検出できる

※ 我々は「後藤健二」が残した足跡の上を歩いている

※ やっぱり日本はすごかった!月探査コンペでハクトの「ローバー」が中間賞

※ このクールすぎる電動水上バイクは環境面もケアする