一度は旅行で行ってみたい!? 独自の文化を発信し続ける「ジョグジャカルタ」

一度は旅行で行ってみたい!?  独自の文化を発信し続ける「ジョグジャカルタ」

「多様性の中の統一」を国是に掲げるインドネシアは、「地域ごとの特色」というものに非常に富んだ国である。

たとえば、ポルトガルのリスボンとトルコのイスタンブールが同じ文化圏の都市だとは誰も思っていないだろう。だがインドネシア最西端のサバン島と最東端のメラウケまでの距離は、リスボン~イスタンブール間よりもまだ長いのだ。人種も文化も伝統も違う民族が寄り添っているのが、インドネシアという国である。

文化圏という点では、決して「インドネシア」と一括りにすることはできないのだ。

そんな中、同国で最も強い存在感を発揮する地域がある。インドネシア国民の誰しもが「文化の源泉」と呼び、世界各国の旅行者からもその独自性を絶賛されている都市が。

ジャワ島中部にあるジョグジャカルタだ。

 

 宗教対話の地

一度は旅行で行ってみたい!?  独自の文化を発信し続ける「ジョグジャカルタ」

ジョグジャカルタ特別州は、非常に面積の小さな行政区域である。

この辺りの地域は、かつてマタラムと呼ばれていた。山がちなジャワ島西部とは違い平野に恵まれ、大規模な稲作ができる土地だ。強大な王朝はこのような条件下で生まれやすい。8世紀初旬から200年に渡り栄えた古マタラム王国は、ジャワ島の文化形成に大きな役割を果たした。ジョグジャカルタ市内にある世界遺産プランバナン寺院も、古マタラム王国時代に建立されたものである。

古マタラム王国はヒンズー王朝だった。ヒンズー文化圏では、神話の視覚化が盛んに行われる。それはすなわち、絵画や演劇の文化が発達しやすいということだ。現代に受け継がれるバティック(蝋けつ染め)、影絵芝居ワヤン・クリット、ヒンズー演劇などは古マタラム王国以来の伝統である。現代のジョグジャカルタ市民はイスラムかカトリックの信徒が殆どを占めるが、「異教の文化など駆逐してしまえ」と叫ぶ者はいない。むしろそういう人間がコミュニティーから駆逐されてしまうほどだ。

マタラムは宗教対話の地でもある。歴史上、ジャワ島で勃発する戦争はどれも王位継承騒動が激化したもので、宗教対立が理由の戦争はまず起こらない。17世紀ヨーロッパであった三十年戦争のように、異なる宗派同士が血みどろの殺し合いをするということはあり得ないのだ。

 

 色落ちしない染め物

一度は旅行で行ってみたい!?  独自の文化を発信し続ける「ジョグジャカルタ」

ジョグジャカルタといえば、やはりバティックである。

蝋を使った染め抜き技法の製品は、防染糊を用いたそれよりも耐久性が高い。そのまま洗濯機にかけても色落ちしないほどだ。このバティックは、他国の染め物職人にとっては長年のミステリーだった。そして様々なコピー品が生まれている。

日本も例外ではない。江戸時代、オランダの商船によってもたらされたジョグジャカルタのバティックは、江戸で大流行した。「洗濯ができる染め物」は、文化の円熟期を迎えていた日本人の芸術感性に大きなインパクトを与えたのだ。世界有数の繊維製品大国である日本の職人は、様々な工夫を凝らして和製バティックを作ろうと試みた。だが結局、少なくとも幕末まで蝋けつ染めという発想には至らなかったようだ。

これだけでも分かるように、ジョグジャカルタは近世までアジア地域における「文化配給の土地」だったのだ。もちろんそれは、染め物に限らない。稲作農法から絵画、木造建築、叙事詩に至るまで、マタラムの土地の文化は常に世界へ発信し続けていた。

学問の上での歴史とは、いつも政治史を指す。その視点で言えば、ジョグジャカルタは影が薄い。多大な政治的役割を果たしたアジア地域の王朝は、他にいくつも存在するからだ。だが周辺諸国の文化面でのセクターに影響を与え、しかも現代に至るまでその文化を保持し続けているか否かという点を鑑みれば、ジョグジャカルタに匹敵する地域はあまりないはずだ。

 

 ジョグジャカルタと日本

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実はジョグジャカルタは、現代でも「絶対王政」を維持している。

新マタラム王国の系譜を持つジョグジャカルタ王国は、70年前のインドネシア独立戦争においてスカルノと連携していた。スカルノはこの戦争期に、ジョグジャカルタをインドネシア共和国の臨時首都に指定した。当時の国王ハメンクブウォノ9世は、のちにジョグジャカルタがオランダに占領されてしまうという苦難があったにもかからわずスカルノに協力し続けたのだ。

その貢献が認められ、ハメンクブウォノ9世は独立後にジョグジャカルタ特別州の知事に任命される。この知事職は世襲制だ。今現在は子息のハメンクブウォノ10世が継いでいる。

そして、王家は日本と深い交流を持っている。ジョグジャカルタ特別州は、京都府と姉妹都市関係にある。長い歴史を持ち、繊維産業が発展しているという共通点が両都市にあるのだ。そうした交流の中で、思いがけない「副産物」も生まれた。

ジョグジャカルタ王室のグスティー・プンバユン第1王女は、日本コナモン協会の後援を得て地元にたこ焼きチェーン店をオープンした。日本訪問を繰り返しているうちにたこ焼きの魅力を知り、ついに自前の店を主有するに至ったのだ。ジョグジャカルタの雇用創出のため、という思いもある。

日本人にとって、インドネシア観光はどうしてもバリ島ばかりを連想しがちだ。だが、インドネシアは途方もなく広い。ここは約300の民族が肩を寄せ合って住まう国である。各都市には必ず文化的な特色があり、同じものは一つとしてない。

そう、ここは「文化の源泉」なのだ。

 

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