彼らは虫の死骸を詮索している。私は虫の生命を研究しているんだ。 ~アンリ・ファーブル【科学者の智慧 vol.11】

 

浮世離れしたファーブル先生?

ジャン=アンリ・カジミール・ファーブル(Jean-Henri Casimir Fabre)……1823~1915。フランスの博物学者。昆虫の行動研究の先駆者であり、著書『昆虫記』は世界各国で翻訳され、今日でも広く親しまれている。

Jean-henri_fabre

 

子ども向けに翻訳された「ファーブル昆虫記」を遠い日の夏休みに読んだ記憶がある人は多いだろう。

フンコロガシの話。ハチの話。ごく身近な存在でありながら、その生態についてよく知られていなかった昆虫をとことん観察し、生き生きと描写した本だ。筆者などは読んでいるうちに現実社会を忘れ昆虫の世界に没入してしまうので、ちょっと現実逃避したい夜などにページをめくると、ファーブル先生になぐさめられる。

 

しかし、ファーブル先生はいったいどれだけの時間を昆虫の観察に費やしたのだろう。

「昆虫の観察」などという、およそ金にも名誉にも無縁そうなことにこれだけの精力を費やせるのは、さぞやお金とヒマを持て余した老学者の業余なのかとも夢想してみる。

しかし、調べてみると、ファーブルはそんな浮世離れした学者などでは決してあり得なかったのだ。

 

先進すぎた逆境の研究者

ファーブルは南仏の寒村に生まれ貧困のなかで育った。15歳でアヴィニョン師範学校の奨学生に応募し首席で合格。3年の課程を2年で修了するという秀才ぶりを発揮する。

数学と物理学の学士号を取得して教師などで生計を立てるが、もともと昆虫の生態に興味が強く、植物学者や博物学者と交わって本格的に博物学を学び、博物学の博士号を取得した。

科学アカデミーの実験生理学賞を受賞するなどして学問的には次第に高い評価を得るが、ファーブルの研究は独学で、しかも行動研究という「観察を基礎とした先進的な学問」だったため、さまざまな方面から妬まれ、誤解や中傷を受けた。

結局、「礼拝堂で植物の受粉について講義したのが不謹慎」という言いがかりに近い非難を受けて教職を追われることになる。以後、ファーブルは科学系の本を書いては細々と生計を立てざるを得なかった。

この頃に書き始めたのが『昆虫記』だ。

「学者というのは文句を言いたがるものなんだよ。私はこの目で昆虫を見ている。反対する人は自分で観察してみればいい。きっとわたしと同じ結果が得られるだろう」。

「(旧来の博物学者のやり方を指して)彼らは虫の死骸を詮索している。だが、私は虫の生命を研究しているんだ」。

 

ファーブルはしばしばこのような皮肉っぽい言葉で古い学者を婉曲に非難・攻撃した。

しかし、本当は「昆虫を知るには、昆虫を解剖して体のしくみを調べればいいというものではない。徹底した観察を通じて、昆虫がどのように生きているのかを知ろうとする自分の学問は決して間違っていない」という自分の考えを貫き、逆境と貧困のなかで「いつか自分の研究が認められる日が来る」と自分に言い聞かせ、励ましていたかのようにも思える。

また、冒頭で『昆虫記』について「浮世離れした」と書いたが、それは浮世離れなどではなく、自分の先進的な研究を認めようとしない旧弊な学会や教育界や貧困や生活苦をいっとき忘れ、自分を解き放ってくれるやすらぎの世界を『昆虫記』に見出していたのかもしれない。

ファーブルはその後も学者の世界に戻ることなく、セリニアンという小さな村でひたすら『昆虫記』を書き続けた。その語り口調は研究書というよりは美しい物語のようで、多くのファンを魅了し、文学としての評価を次第に高めていった。

 

ファーブルはセリニアンで約36年を費やして『昆虫記』を第10巻まで書き上げた。

第11巻にも着手したのだが、体の衰えから執筆を中断。91歳の長寿を全うした。

 

 

The portrait was taken by Nadar

 

【参考】

※ 林 達夫 編訳 『昆虫と暮らして』 岩波書店

※ アンリ・ファーブルに学ぶ – NPO法人 日本アンリ・ファーブル会

【画像】

※ File:Jean Henri Fabre Nadar.jpg – Wikimedia Commons