「略奪美術品」に揺れるヨーロッパ …今なお残るヒトラーの影

Adriano Castelli / Shutterstock

絵画の寄贈先

グルリット氏がドイツ国内の美術館を寄贈先に指定しなかったのは、家宅捜索した当局への恨みと言われている。だがいずれにせよ、この遺言で問題が国際的なものになってしまったのは事実だ。

美術史に輝く貴重な作品がタダで手に入ったのだから、ベルン美術館としては万々歳……とは当然ならない。グルリット氏の絵画を下手に受け入れると、その作品の所有者だった人物の遺族が美術館を提訴する。一件二件ならまだしも、いかんせん問題の絵画点数は千を超える数だ。その裁判費用は天文学的なものになるに違いない。

また、ナチスの略奪被害を受けた国の政府も黙っていないだろう。スイスは戦時中、国民皆兵制度によりヒトラーの侵攻計画を銃弾一発撃つ前に頓挫させた国だが、対応を一つ間違えればスイスも「枢軸国」と見なされてしまう可能性がある。それだけは避けねばならない。

だからベルン美術館は、グルリット氏の絵画の受け入れには同意したものの、元の所有者が判明した作品は受け取らなかった。こうした経緯を文章で書くのは非常に簡単だが、当事者の決断は我々一般人の想像では計れないほどの苦労だったはずだ。現にベルン美術館理事会のクリストフ・ショイブリン会長は、

「私の職業人生の中で最も困難な決断だった」

というコメントを残している。

 

ヨーロッパ美術受難の時代

このようにヨーロッパの美術作品は、アドルフ・ヒトラーという憎悪の塊のような男にその身を奪われるという時代があった。

歴史的に重要な作品も、その例外ではない。たとえば11世紀のノルマン・コンクエストを描いた壮大な刺繍画『バイユーのタペストリー』は、フランスを占領したドイツがバイユーから持ち去ってしまった。ノルマン・コンクエストとは、ノルマンディー公ウィリアム1世によるグレートブリテン島征服を指す。昔の英雄の業績をたどることに熱心だったヒトラーは、親衛隊に命じてバイユーのタペストリーをパリへ輸送した。いずれはベルリンへ、という腹積りだったのだろう。

現にヒトラーは、1944年に連合国軍がパリへ足を踏み入れた時もタペストリーに執着した。「至急、タペストリーをドイツに送れ」と命令している。それが実行されなかったのは、すでに連合国軍がルーブル美術館の周辺に達していたからだ。そうでなければタペストリーはベルリンに輸送され、結局は翌年4月のソ連軍総攻撃のドサクサで消失していただろう。そうならなかったのは、奇跡と言う他ない。

指名手配されているナチス関係者の追跡は、今や当人の高齢化によりその追跡活動は年々縮小しているという。だが略奪美術品はそうではない。むしろ指名手配犯追跡に費やされていた労力が、いよいよこちらに向いてきたという感さえある。

失われた美術品は、実は我々の身近にあるのかもしれない。

 

【参考・画像】

※ ナチス略奪絵画1500点発見、独アパートに隠され半世紀(AFP)

※ ナチスの略奪絵画 旧所有者への返還に道 独政府協力、スイス美術館受け入れ(Sankei Biz)

【関連記事】

※ ヒトラーの金塊ついに発見!? ヨーロッパに眠る「ナチスの遺産」は一体誰のもの?

※ オーストリア出身の芸術家が作品に込めるのは平和への強い想い

※ 僕らの街に原子爆弾が …「Nuke Map」がジャカルタ市民に与えた衝撃

※ 歴史はつながる…ナポレオンから広島・長崎原爆投下までの「戦争と平和」のストーリー

※ 「近代戦の先駆け」再注目されるフォークランド紛争

1ページ目から読む