【クルマを学ぶ】大気汚染の王様「トラバント」の悲劇的な運命

東ドイツの大衆車

東ドイツ

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ドイツがかつて東西に分かれていたことは、誰しも知っているだろう。自由主義陣営の西側と、社会主義陣営の東側である。

ドイツ民主共和国、すなわち東ドイツは建国当初から、工業生産力の面で西ドイツに大きく引き離されていた。当時のドイツの工業地域といえば、ルール川下流のエリアである。もちろんそこは西ドイツだ。従って東ドイツの工業は、当初からソ連頼みだった。

それでも社会主義国の建前として、「我々は常に成長し続けている」ということをアピールしなければならない。アドルフ・ヒトラーがフェルディナント・ポルシェにビートルを作らせたように、東ドイツの政治指導部も自国独自の大衆車を製造する運びとなった。

そこで完成したのが、『トラバント』だった。600ccクラスの空冷2ストロークエンジンを搭載した、重量600キロ超の車体。その素材はFRP(繊維強化プラスチック)だ。このクルマが登場した1957年当時としては、決して悪くはない仕様である。

「ブレーキは全期間を通して4輪ドラムブレーキであったが、明らかに性能不足であった」とされているが、50年代後半の大衆車はドラムブレーキが水準的な装備であった。『トラバント』の1年後に販売が開始されたスバル360も、このブレーキを採用している。

それよりもFRPを自動車に使ったという点は、世界最先端の発想だった。「鋼材を惜しんだせいで耐久性が犠牲になった」という指摘もあるが、それは「敢えてFRPを使った挑戦的な設計」という言葉に置き換えられないだろうか?

もっとも、このFRPがのちに『トラバント』の低評価に直結するのだが、それでも当時の東ドイツの技術者が下した選択を、何から何まで“安上がりな手抜き仕事”と見なしてしまうのはいかがなものだろうか。

50年代後半、すなわちソ連の書記長がニキータ・フルシチョフだった時代は、東側陣営もクオリティーの高い工業製品を生産していた。現にソビエトカメラのファンの間では、フルシチョフ時代に製造されたものが、最も使用に耐えられるという共通認識がある。自動車もその例に漏れない。

『トラバント』は、“かつて強かった社会主義陣営”の象徴でもあるのだ。

 

執政者の贅沢三昧

エーリッヒ・ホーネッカーは、東ドイツを率いた、ヒトラーとは真逆のタイプの独裁者である。

ヒトラーは“自分の理想”、というより妄想を何が何でも具現化しようとした。そのために数え切れないほどの罪のない市民を殺した。だがホーネッカーの場合は、自分が政権につく前から決められていた“教条や規則”を完璧にこなそうとした結果、むしろ市民を恐怖に追いやってしまった。

ホーネッカーが東ドイツの全ての政治権力を掌握した1976年、すでに東側諸国の経済は疲弊していた。アメリカ傘下の自由主義陣営の経済成長が一段落すると、待っていたのは社会主義陣営の、経済基盤の老朽化だった。

そして社会主義国というのは、「大衆はロボットで構わない」というコンセプトで成り立っている。ホーネッカーは、そのコンセプトを徹底させた。秘密警察シュタージを通した市民同士の密告を奨励したのも、この男だ。一時期の東ドイツは、成人人口の4人に1人がシュタージの通報員だったというから驚きである。

そんな状態の国で、自動車産業が発展するわけがない。古今東西、大衆車は“庶民のささやかな夢”である。だがホーネッカーはその夢を「贅沢な考えだ」として足蹴にした。それよりもスプーンやら石鹸やら歯ブラシやらの日用品に、工業力を注げと言い出す始末だ。

スクラップ

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『トラバント』はメジャーチェンジをまったく施されず、1957年当時の性能水準に甘んじていた。『トラバント』と同世代の『スバル360』などは、ホーネッカーが国家評議会議長になる6年も前に生産を打ち切っている。環境対策から排ガス規制も強化され、『トラバント』は西側諸国の基準では車検すら通らないという有様だった。

FRPの品質低下も顕著だった。ガラス繊維が底を突いてしまった。「仕方がない、紙パルプと羊毛で代用しよう。どうせこの国の住民は、『トラバント』を予約したってすぐに買えるわけではないのだから」。

実はこの時、『トラバント』の生産台数と市民からの予約希望数は大きく乖離していた。食品ですらも配給の列に並ばなければいけない国だ。紙パルプでできたクルマを買うのに、10年以上待たされるという状況だった。

市民の怒りは少しずつ蓄積していった。

 

笑われるべきは愚かな人間

教条的で議論や説教が大好きな人間ほど、実は自分に甘いものだ。

東ドイツの一般国民が、長い年月をかけてやっと『トラバント』にありつけるという中で、ホーネッカーはプジョーやメルセデスなどの西側の高級車を乗り回した。プールのある豪邸に住み、キューバ産のトロピカルフルーツを毎日食べ、悠々自適に過ごしていた。この男にしろ他の政府高官にしろ、結局は自分の生活がよければいいという考えだったのだ。そんな連中が、『トラバント』のメジャーチェンジなどに興味を持つはずがない。

『トラバント』は、1957年から1990年までの33年間、執政者の都合に翻弄されながらも一国の大衆車であり続けた。東ドイツ市民の不満が爆発し、ベルリンの壁が壊されると『トラバント』は自由を求める市民と共に西ベルリンへ足を踏み入れた。だがその粗悪な造りを見た西側の住民は、『トラバント』を笑いの種にした。

「あのクルマは紙でできている。しかも2ストロークの排ガス噴出エンジンを載せている。見ろ、今時ドラムブレーキなんて使ってるぜ。しかも燃料計がない上に、ヘッドライトのスイッチが車外にある。これはとんだ珍車だ。」

そう言って笑う者は、1957年という時代を知らないか、忘れているかのどちらかである。先にも述べた通り、この当時の世界各国の軽自動車と比較しても『トラバント』は決して見劣りしない。

問題は、“庶民のささやかな夢”をぶち壊しながら自分だけ贅沢に勤しんでいた、馬鹿な政治家にある。

『トラバント』の可能性を奪ったのは、人間という名の厄介な動物だ。真に笑われるべき対象は、愚かな人間たちではないか。

(前回の『クルマを学ぶ』はこちら)
※ 【クルマを学ぶ】ハロゲンからHID、LED、レーザーまで「ヘッドライトの変遷」
https://nge.jp/2015/09/13/post-116879/

 

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