ガラケーは不滅か?「スマホ不要論」が生み出す客層

必要な操作はタブレットで

business, partnership, technology and people concept - businessman and businesswoman working with tablet pc computer on city street

source:https://pixta.jp/

 

筆者は先日、“歩きスマホ”に関する記事を手がけた。

その続きになってしまうが、「路上でスマホを操作する」という行為に対して、社会の目が厳しくなっていることは確かだ。

そして、もし世界のすべての人々が“歩きスマホ”を完全にやめたとしたら、“スマホ”は大して必要なくなるかもしれない。タブレットがあれば事足りるからだ。現に“ガラケー+タブレット”という組み合わせを選択するユーザーは少なくないのではないか。

これから間違いなく、通信各社は「歩きスマホをやめよう」という趣旨のキャンペーンに力を入れるだろう。

そうせざるを得ない状況に、社会と世論がなっている。だが「歩きスマホをやめる」ということは「どこか落ち着いた場所で椅子に腰掛けながらスマホを操作しよう」ということとほぼ同義であり、もっと言えばネットブラウジングの携帯性を一部自主規制することである。

それを考慮すると、“ガラケー”は“スマホ”に対するアドバンテージを持っているといえる。「操作ミスが少ない」、「アプリ操作はタブレットでやるから純然たる携帯電話としての機能で充分」という二つの動機が、日本のガラケー人気を支えているのだと筆者は見ている。

いや、それどころかSNSもゲームもiTunesもやらない、だからタブレットも持っていないという人だって少なくないはずだ。かつてツーカーという通信会社が、高齢者向けの端末を発売した時、単純な操作機構が市場に受け入れられ同社一の売れ筋商品になった。

これは、通信端末の飛躍的な進化に嫌気が差している層が存在したという、何よりの証明でもある。

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