銃大国アメリカの鍵を握る企業「スミス・アンド・ウェッソン」とは?

コルトに対抗した会社

1836年、発明家のサミュエル・コルトが、新型のリボルバー銃に関する特許を取得した。

これは、銃の撃鉄とシリンダーが連動する機構についてのものだが、実はコルトの発明はその部分のみである。レンコンのような形のシリンダーに弾丸を込め、連続して撃つというリボルバー式拳銃そのものは以前から存在した。

コルトのやったことは、“新開発”というよりも“改良”だ。そして、その機構に目をつけていたガンスミス(銃整備士)はコルトだけではなかった。

一つの発明を巡って特許争いが泥沼化するということは、アメリカではよくある。だがコルトはその泥沼で勝ち抜いた。彼の発明は丸々20年間、独占が保証されることになる。

S&Wは、1856年にホーレス・スミスとダニエル・ウェッソンが共同で始めた企業である。平たく言えば、コルトとの特許争いに負けたガンスミスたちが作った会社なのだ。

だからこそ、S&Wは創業当初から、他人の特許を買収することを前提にしている。リムファイア式金属薬莢や貫通式シリンダーなど、「斬新だが誰も見向きしなかった特許」に対して札束を積んだ。

それぞれつながりのなかった、複数の特許技術を結合させて一つの製品を作る、というのは今では当たり前の企業戦略である。だがこれは19世紀中葉の話だ。当時としては斬新な手法だったことは言うまでもない。

こうして開発された製品は、ホーレスとダニエルに巨利をもたらした。創業からわずか5年後に南北戦争が勃発したからである。

S&Wは、この戦争でライバルのコルト・ファイアアームズ以上の印象を軍関係者にアピールした。

32口径のリボルバー銃『No.2』は、北軍兵士の良き相棒になっただけではなく、世界中に輸出された。坂本龍馬もこの『No.2』を使用していたほどだ。

 

不安定な経営実態

S&Wは、浮き沈みの激しい会社としても知られている。

戦争特需に支えられている会社は、世の中が平和になった時が一番危うい。南北戦争終了後、ホーレス・スミスが隠居するとS&Wの経営権はダニエル・ウェッソンと彼の3人の息子に分割された。

だが最初に次男が早逝し、そして創業者である父が息を引き取ると、長男と三男とで内紛が発生した。この辺り、毛利元就の「三本の矢」のようにはいかなかったようだ。

その後、世界は二度の大戦争を経験するが、S&Wは世界大戦が勃発する度に生産拡大を打ち出した。そしてそれが終わると、やはり経営難に陥り内紛が発生するという事態に見舞われた。

銃産業は、決して安定した業種ではないのだ。

近年も、S&Wは重大な局面に遭遇した。ヨーロッパメーカーの台頭である。

アメリカの銃市場は、自動車のそれに似ている。今や国内企業の影は薄くなり、外国企業の製品が幅を利かせている状態だ。アメリカ軍ですらも、自国製品を捨てヨーロッパメーカーの銃を採用するという有様だ。

ならば、頼るべきは国内の一般市民からの需要である。

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