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累計1億台を達成!『スーパーカブ』が超ロングセラー商品になった理由とは…?

我々日本人は、ホンダのオートバイ『スーパーカブ』を毎日目撃している。 

スーパーカブの発売は1958年8月。現代に至るまで生産され続け、2017年には生産累計台数1億台を達成した。こんなバイクは他に存在しない。 

誰にでも乗りやすい設計、頑丈なエンジン、汎用性。これらの要素は日本のみならず、世界各国のモーター文化に多大なインパクトを与えた。日本が終戦後の焼け野原から技術立国として再生する最中、スーパーカブは世界自動車史を永遠に変革させる1ページを残したのだ。 

では、なぜこのバイクが稀に見るロングセラー商品として今に至っているのか? 

ホンダのバイクの「原点」 

画像:StreetVJ/Shutterstock

我々現代人は、ホンダが世界有数のモーター関連企業だということをよく知っている。 

しかし1950年代までのホンダは、あくまでも「敗戦国のローカルメーカー」に過ぎなかった。本田宗一郎は終戦直後、旧陸軍が放出した無線機用発電エンジンを調達し、それを自転車に取り付けた。これで人力の自転車をモーターサイクルにするという単純な発想だが、当時の日本人にとっては喉から手が出るほど欲しかった「自動車」である。ホンダのモーターはたちまちのうちに売れた。 

やがて旧陸軍のエンジンがなくなると、自分たちで新しいエンジンを作る必要に迫られた。しかし、今までのエンジンを模倣するのは宗一郎の性格が許さない。より性能のいい、即ちパワーのあるエンジンの開発を志した。 

そして新しいエンジンができると、フレームも新しくしなければならない。何しろ、今までのフレームは自転車そのものなのだ。これを強化しないことには、速度の出るバイクなど実現しない。 

端的に言えば、ホンダはこの繰り返しで徐々に高性能の製品を作り上げたのだ。 

日常で利用できる50ccバイクを 

画像:nitinut380/Shutterstock

1953年公開の『ローマの休日』という映画作品がある。 

オードリー・ヘプバーン主演の名作で、グレゴリー・ペックとローマ市内をベスパの小型バイクで2人乗りするシーンは非常に有名である。この小型バイクは、当時のヨーロッパでは広く普及していた。 

「こんな感じの小型バイクを作ればいいのではないか」 

宗一郎にそう提案したのは、彼の右腕として知られる藤沢武夫である。欧州視察の帰りの飛行機で、宗一郎を説得したのだ。 

パワーに恵まれた大型バイクではなく、日常で利用できる50ccのバイクを作る。しかし、宗一郎は当時主流だった2ストロークエンジンよりも4ストロークエンジンに未来を見出していた。 

これが後に「スーパーカブ」と呼ばれるバイクの、極めて大きな特徴になった。 

2ストロークエンジンを嫌った本田宗一郎 

2ストロークと4ストローク、この両社の違いは「吸気から排気までの過程にかかる手間」である。 

4ストロークは、吸気・圧縮・爆発・排気をピストン2往復の間に行う。一方で2ストロークは吸気と圧縮、爆発と排気を同時に行う。つまりピストン1往復の間に全ての過程が完結するのだ。 

よりパワーが出るのは、もちろん2ストロークである。従って、50年代の小型バイクは総じて2ストロークエンジン車だった。小さい排気量でも十分な馬力を確保できるからだ。 

しかし2ストロークエンジンは燃費が悪く、さらにエンジンオイルも消費するため4ストロークエンジンよりもメンテナンス性に欠ける。さらに排気音が大きく、排気ガスの中の有害物質を多く出してしまうという短所もある。故に、環境規制が厳しくなった現在では中古車以外の2ストローク車は見かけることがない。 

そして宗一郎は、4ストロークにこだわった。いや、2ストロークが嫌いだったと断言してもいいだろう。スーパーカブのエンジンを担当した星野代司は、こう証言している。 

「スーパーカブのエンジンは、ベンリイJ型の次で、私が設計した4ストロークの2作目でした。50ccの4ストロークエンジンなんて、世界でどこも量産なんかしてない。50ccなら2ストロークと決まっていましたからね。本田さんは、藤澤さんとヨーロッパへ行かれた時、ホテルで朝、新聞配達のクルマがみんな2ストロークなので、『カン高い音がうるさいのなんの。あんなのは、やっぱり世の中に出すべきじゃないんだ、ああいうクルマこそ、4ストロークでなきゃいかん』と、おっしゃってたそうです。私への命令はもちろん4ストローク。それからは、もう毎日毎日、設計室においでになる。こっちが夢中で基礎計算をやっていた時、ふっと振り向くと、いつの間にか後ろに本田さんが立っておられて、肩越しにじっとのぞき込んでたなんてことも再々ありました」 

語り継ぎたいこと ホンダ公式サイト(※1) 

宗一郎の4ストロークエンジンへのこだわりは、結果としてスーパーカブをロングセラー商品にした。 

もしもこの時、スーパーカブが2ストロークエンジンを採用していたらどうか。21世紀以降年々厳しくなる環境規制に対応できず、今頃は「過去のバイク」になっていたに違いない。宗一郎の先進性は、スーパーカブ発売から60年以上経った今でもまったく色褪せていないのだ。 

雪駄を履いた足でも運転できるバイク 

スーパーカブには「自動遠心クラッチ」というものが採用された。 

これは一言で言えば、「複雑なギアチェンジを省く機構」である。 

バイクのギアチェンジとは、初心者には難しい動作だ。まず左ハンドルにあるクラッチレバーを引き、左足のチェンジペダルを踏んでニュートラルから1速にする。その後、クラッチを中途半端な位置に戻す。これがいわゆる「半クラッチ」だ。この技術を習得しないと、簡単にエンストしてしまう。バイクが走り出したらまた左手のクラッチレバーを引き、今度はチェンジペダルをつま先で跳ね上げて2速に入れる。以降の3速、4速、5速は、この「つま先で跳ね上げる」動作の繰り返しだ。 

従って、ライダーの左足は必ず汚れている。雪駄やサンダルを履いた足では絶対にできない動作でもある。 

しかし、スーパーカブのチェンジペダルはシーソー式。つま先と踵で踏む動作だけで完結させている。しかも自動遠心クラッチは、左手にあるはずのクラッチレバーをも省いてしまった。従って、半クラッチという技術を習得していなくても自由自在に乗り回すことができるのだ。 

その上で、スーパーカブはステップスルー機構である。つまりこのバイクは「跨がない」のだ。スカートを履いた女性でも乗ることができる。もちろん、その点は宗一郎も藤沢も自覚していた。 

女性誌への広告展開でわき起こった興味深い裏話を、尾形氏は語り残している。 

「スーパーカブが欲しいと思った女性がホンダ販売店に行くわけです。ところが、そこは油臭いお店で、無愛想なオヤジさんがいる。このオヤジさんは男のオートバイ乗りの指導教官にして頼もしいボスなのですが、女性のお客様がご来店したとなると、どうしていいかわからない。女性のお客様もびっくりするやら、おっかなくなるわけで、話も早々に逃げ帰る。こういうことが勃発して困っていると藤澤さんが言うので、私たちは考えた。それでハートマークや花や鳥をプリントした可愛らしいエプロンをこしらえて全国の販売店に配ったのです。このエプロンを販売店の奥さんにつけてもらって女性のお客様の接客をすればいいという作戦でした」 

Super Cub Story Vol.2 — 国内宣伝編 ホンダ公式サイト(※2)

当時、バイクと言えば「男の乗り物」である。町のバイク屋に集うのも、店主の奥さんか娘さんを除けば全員男。しかしスーパーカブは、そのような光景を一変させてしまったのだ。 

これと同様の現象は、海の向こうのアメリカでも発生する。 

アメリカでもスーパーカブが普及

画像:Hafiz Johari/Shutterstock

ホンダがアメリカに進出したのは1959年。100%出資の現地法人『メリカ・ホンダ・モーター』は、僅か8名の小所帯だった。 

また、この当時日本のバイクメーカーがアメリカに進出して成功するのは難しいと思われていた。 

アメリカは世界で最も早くモータリゼーションを達成した国である。第二次世界大戦の敗戦国のメーカーが作ったバイクに頼らずとも、この国には既にいくつもの二輪車ブランドが存在する。 

ところが、この時代のアメリカではバイク乗りは敬遠されていた。彼らは「ブラック・ジャケット」と呼ばれ、日本で言う暴走族のようなイメージを持たれていたのだ。従って、バイク自体も「不良の乗り物」と見なされていた。 

そこでホンダが目を付けたのは、アウトドア用品店だった。釣り具を売っている店にスーパーカブを置いてもらい、海や湖で釣りをするのが趣味という人にそれを買ってもらう。また、ホンダは「YOU MEET THE NICEST PEOPLE ON A HONDA」と書かれた広告ポスターも配布した。「ホンダに乗ると、善き人々に出会える」と訳すべきか。これは文中には直接触れていないものの、ブラック・ジャケットのアンチテーゼを意識していたことは明白だ。「ホンダのバイクは暴走族の乗り物ではありませんよ」ということである。 

スーパーカブは、アメリカでたちまちのうちに普及した。遠距離ではなく、気軽に行けるような数マイルを駆け抜ける手軽なモビリティとしてアメリカ人に認識されるようになったのだ。 

「庶民性」に優れたバイク 

丈夫で扱いやすい4ストロークエンジン、どんな服装でも乗れるステップスルー、履物を選ばないクラッチ機構。それらが実現させたのは、日常生活の場面に根付いた気軽な乗り物である。 

二輪車にもEV化の波が押し寄せているが、それでもスーパーカブが電動バイクに圧倒される日はまだまだ遠いだろうと筆者は考えている。そしてその日があるとすれば、スーパーカブをも超える「庶民性」を秘めた新製品が登場した……ということに他ならない。誰でも扱うことができ、いつどのような場面でも活躍し、あらゆる仕事をこなすバイクである。 

そして我々現代人は、スーパーカブから学ぶことがまだまだありそうだ。 

【画像・参考】 
※1 語り継ぎたいこと ホンダ公式サイト 
※2 Super Cub Story ホンダ公式サイト 
※経営に終わりはない(藤沢武夫 文藝春秋) 
※Vadim Axel・StreetVJ・nitinut380・Hafiz Johari/Shutterstock