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佐渡島庸平氏、思考と言語の関係性を語る「相関があると思っていたけど…」

8月4日(水)、佐渡島庸平氏がTwitterを更新。佐渡島氏は、「思考の深さと言葉遣いの巧みさには、相関があるものと思っていたけど、そこはあまりないかもしれないとふと思った」とのコメントでTwitterを更新。

「思考と言語」両者間に相関なし?

また、両者の関係性について、「ある程度までは相関がありつつ、既知の枠を越える思考をしはじめた人は、言葉の外の思考をしようとしているため、社会と接続していない言葉を使うかなと」といった見解を示しました。

佐渡島氏の見解に英治出版のプロデューサー・平野貴裕氏も反応。平野氏はさらに、“最初のツイートを見て思ったのは、言語操作による思考は思考の一種でしかなく、例えば、「イメージ」による思考などがありえて、個々人によってどちらを思考のベースにしているかの傾向があり、限界を超えるにはその傾向とは違う思考のあり方をする必要があるのかも、ということでした”と、自身の考察を明かします。

佐渡島氏も平野氏の見方に同意を示し、「イメージとか、身体を使って思考を深めていて、言語が独自すぎるままの哲学者とかいそうだなと」とコメントしました。

それぞれの人にとっての思考を深める方法はあり、ただそれがアウトプットするときに言語になるから“言語=思考”といった考え方が一般的だったのかもしれません。昨今では、Youtubeや動画などで、言語で表現せずに伝える手法が普及してきたので、人の表現方法は更に多様化するのかもしれません。

仮説検証の手段にも期待

言語とは別の思考手段が存在するのではないかという仮説を示し、“思考の深さ”と“言葉遣いの巧みさ”の相関は一定の範囲でしか認められない可能性があると主張する佐渡島氏。ネットユーザーからも、両者の関係について述べる意見が寄せられています。

ある人は、自身の体験に結び付けながら「言語化することでさらに思考が深まったり、思考の浅さに気づいたりすることはよくあるので、相関はあるんじゃないかと思ってます」とコメント。言語運用が思考を深める手立てになりうると語ります。

また、「思考の深さを感じて、こちらが上手くそれを引き出すような聞き方をすると、どんどんいいアイデアが出てくる人はいますね」という人も。質問者の言語運用が他人の思考を深める、ファシリテーション的側面があるという見方も示しました。

言葉がすべてではないと思いますが、言葉を介してコミュニケーションが発生することによって、流れを整理できたり認識を一致させる“ファシリテーション効果”もあるのではないでしょうか。

佐渡島氏が投稿しているとおり、言語と思考は同一ではないし、思考を深める方法は人によって様々のはず。そして、多様な表現方法が出てきている現代において、思考を深める方法もまた多様化していくのではないでしょうか。

【画像・参考】
@sadycork/Twitter
※GaudiLab/Shutterstock