政治/経済

「ネットのデマ情報に踊らされないために」たったひとりで戦い続けた報道官

 「ネットのデマ情報」は、災害が発生すると必ず誰かが配信する。 

それはつまるところ、まとめサイトに多くのPVを集めて広告収入を得るための手段である。要は金儲け、いや、小遣い稼ぎだ。そのために被災地にいる人々は、真偽不明の情報に惑わされ命すら脅かされる。 

「現在SNSで出回っているこの情報はフェイクです。絶対にリツイートしないようにしましょう」 

政府の高官或いは重要な公職に就く者がそう呼びかけたら、無責任に捏造される情報に何とか対抗できるかもしれない。 

実際にそのような人物が存在した。 

災害とデマ情報 

インドネシア国家防災庁のストポ・プルウォ・ヌグロホ主席報道官は、2019年7月にこの世を去った。ストポ報道官はステージ4の肺癌に犯され、それが全身にも転移していたのだ。 

彼の死はインドネシア国民のみならず、世界各国のジャーナリストをも動揺させた。なぜなら彼は、災害発生の度に押し寄せるデマ情報にたったひとりで立ち向かった人物だからだ。 

インドネシアは、日本と同じく環太平洋火山帯に沿う島国。地震も頻繁に発生し、それに伴う津波も押し寄せる。国内にいくつもの活火山も抱えている。大雨が降れば土砂災害も起こる。日本にあってインドネシアにない自然災害は、台風と大雪だけではないか。それだけ地理条件が似ているのだ。 

そして何かしらの災害がある度、SNSはデマ情報で埋め尽くされる。 

インドネシアでは2015年あたりから、スマートフォンが急速に普及した。これはAndroid OSの低価格スマホが促した現象だ。それまでは高価なBlackBerryを1年ローンで購入していた一般労働者は、一括決済でAndroid機種を買えるようになった。同時にスマホの複数台所有も珍しくなくなり、SNSやメッセンジャーアプリのユーザー数も急増した。 

それは「デマが拡散されやすくなる環境」が構築される、ということだ。 

情報の真贋を検証した報道官 

ここで例を挙げよう。2018年のスラウェシ島北東部ソプタン山が噴火した直後、「火砕流に追われる車内で撮影した動画」が拡散された。 

衝撃的な内容の動画だが、ストポ報道官はこれを「デマ」と否定。そもそもこの動画は、インドネシアではなく南米の火山噴火である。該当の災害とまったく関係ない写真や動画を「今回の災害の様子」と伝える手段は、インドネシアでもよくあることだ。 

同年のスラウェシ島地震の際に発生した大津波でも、非常に悪質なデマが拡散された。「海岸に流れ着いた複数の遺体の動画」である。が、これもストポ報道官は「Hoax(デマ)」と断定し、「もしこの動画を見かけたら無視しよう」と呼びかけた。 

2018年10月29日、インドネシアの首都ジャカルタを飛び立ったライオン航空610便が離陸から間もなく墜落するという航空事故が発生した。 

この事故の直後、SNSで「墜落直前の機内の様子」という画像及び動画が出回った。 

これらはTwitterの日本人ユーザーの間でも拡散された。しかしストポ報道官は、この画像と動画の真贋を検証して「Hoax」と結論付けた。旅客機マニアが見ればすぐに分かることだが、どちらも該当の墜落機(ボーイング737 MAX)とは異なる機種だ。 

環太平洋火山帯地域の英雄 

しかし、どんなに粗悪なデマ画像でも放置すれば人々を動揺の渦に陥れてしまう。病身のストポ報道官は、それでも画像や動画の真贋検証に臨み、その結果をTwitterの個人アカウントで公開したのだ。 

このような人物を「英雄」と呼ばずに、何と呼ぶべきか。 

たったひとりでデマ情報と戦い続けるストポ報道官は、やがてインドネシア国民から絶大な信頼を得るようになる。「ストポさん、ネットで拡散されているこの動画は本当ですか?」と、一般ユーザーから相談されるほどになった。災害が起こったら、まずストポ報道官のTwitterアカウントをチェックする。スマホを手にしたインドネシア国民は、衝撃的な画像や動画ほどデマの可能性が高いということを理解するようになったのだ。 

日本人にとっても、ストポ報道官の活動は無視できるものではない。2016年に発生した熊本地震の直後、「動物園からライオンが脱走した」という画像付きの投稿がTwitterで拡散された。もちろん、これはデマである。この時の画像は、そもそも日本国内で撮影されたものですらなかった。上述のインドネシアでの火山噴火や津波の動画と、まったく同じ手口である。 

残念ながら、我々現代人は常に「デマ情報に踊らされる危険性」と隣り合わせである。これをまったくの善意でリツイートしてしまう人もいる。ライターとして生計を立てている筆者も、根拠のないデマ情報を拡散してしまうかもしれないし、最悪それをソースにした記事を書いてしまうかもしれない。 

何を信じていいのか分からない。それが現代の「情報社会」の特徴である。 

50年後を見据えた「宿題」 

ストポ報道官はこんな投稿もしている。 

「Stop di kamu」とは、「君のところで止めよう」という意味である。つまり犠牲者の遺族を傷つけるような動画やあまりにショッキングな画像は、リツイートせずに無視しようということだ。 

日本でも「この指止めよう」と呼びかけた団体があった。が、団体の代表自身がかつて有名人を誹謗中傷していた事実が発覚し、騒動に発展してしまった。ストポ報道官の「Stop di kamu」は、それとは似て非なるものと断言してもいいだろう。 

衝動的なリツイートは、それ故に情報の真贋を無視してしまう。そして人間が人間である以上、完璧な存在になることはできない。もしかしたら自分自身がその過ちを犯しているのかもしれない。だからこそ「自分は何も発信しない」という「スルー能力」が、現代社会には必須なのだ。 

ストポ報道官の死から僅か1年足らずで、人類は新型コロナウイルスという災禍に見舞われた。 

100年に一度のパンデミックは、同時に様々なデマ情報を呼び寄せている。しかもスペイン風邪に見舞われた大正時代と現代とでは、「情報が伝わる速度」がまったく異なる。世界のどこかにいる誰かが気紛れで配信したデマ情報が、1時間後には地球を混沌の底へ陥れるかもしれない。21世紀初頭から中葉にかけての人類は、いつ何時「デマ情報の受信者」になるか分からない生活を余儀なくされ、また「デマ情報の発信者」になる可能性とも向き合わなければならない。 

我々はどうするべきか。 

ストポ報道官の功績は人類を進化させると同時に、50年先を見据えた「宿題」をも我々に与えている。 

【画像・参考】 
※Andrii Yalanskyi/Shutterstock
Mengenang Sutopo Purwo Nugroho-YouTube