ナチスの財宝、ここにあり

「この列車には大量の金がある!」
そう主張するのは、二人の男。一人はドイツ人、もう一人はポーランド人である。彼らによると、ポーランド国内のとある場所に例の列車が埋まっていて、すぐにでも発掘可能だが報奨金の約束をしない限り場所は教えられないという。
二人は財宝の換算総額の10%を要求している。
この財宝列車は第2次世界大戦末期、迫るソ連軍から金を退避させる目的で移送されたものだ。ところが目的地に着く前、突然消息を絶った。そういった経緯もあり、財宝列車の発見はトレジャーハンターたちの長年の夢だったのだ。
日本でも一時期、徳川埋蔵金の発掘がブームになったことがある。重機を何台も繰り出し巨大な穴を掘る様子が、そのままテレビの特番として放映されていた。だがヒトラーの金塊は徳川埋蔵金よりも遥かにデリケートな問題でもある。ナチスの財産は、その大半がどこかから略奪したであろうはずのものだからだ。
もし、二人のトレジャーハンターの言葉が本当で、実際に大量の金があったとする。金の延べ棒には必ず刻印がある。純度と製造業者の商標、登録ナンバー。そこから、その金の歩んできた道を特定することは可能だ。その結果、列車に積まれていた金が「略奪されたもの」と判断されれば、もはやトレジャーハンティングどころの騒ぎではなくなる。
そもそも、ナチスの列車だから積まれているのが金だけとは限らない。もし財宝ではなく弾薬や化学・生物兵器が積まれていたら、という懸念もある。個人の力ではどうにもならないことだ。
ヒトラーの隠し財産
こうしたナチスの財宝は、ヨーロッパ各地に眠っていると言われている。その中でも一番有名なのが『琥珀の間』だ。
ロシアの都市サンクトペテルブルクは、第二次大戦の時にはレニングラードと呼ばれていた。同市の郊外にあるエカテリーナ宮殿は、帝政時代に建設されたロココ様式の王室別荘地だ。その部屋の一つに、全体を琥珀の装飾品で施した場所がある。それが『琥珀の間』だ。だが、エカテリーナ宮殿はドイツ軍に占領されていた時期があり、その際に『琥珀の間』は解体され持ち去られてしまった。
こうした略奪を、ドイツ軍は各地で行っている。ヒトラーの個人的な執着心が、蛮行を加速させたという側面もある。元々はオーストリア人だったこの男は、当初は画家志望でウィーン美術アカデミーの試験に二度挑戦している。だがいずれも不合格だった。
“表現の多様性”という美術界の必然的な流れに、ヒトラーはついていけなかった。そしてそんな自分を弁護するかのように、「昔のヨーロッパ芸術は素晴らしい。なのに今の芸術は退廃している」という理論を勝手に展開し、それを裏付けるために、占領した先々で価値ある美術品を奪い去った。いずれはそれを一ヶ所に集め、史上最大の美術展を開くつもりだったようだ。現に、ナチスはミュンヘンに『ドイツ芸術の家』を建て、そこに写実主義の絵画や彫刻ばかりを展示させている。
『琥珀の間』も、恐らくはその展示品の一つになる予定だった。だが旧東プロイセン地方の、ケーニヒスベルク(今のロシア領カリーニングラード)に留め置かれていた『琥珀の間』は、そこで消失している。連合国軍の爆撃で灰になったというのが一応の定説だが、その証明すらもない。
先述の金塊のように、ナチスがどこかに隠したとしてもおかしくはないものだ。
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