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肥後の五郎鎌倉へ行く、今に語り継がれる「蒙古襲来絵詞」の背景

鎌倉 大仏
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13世紀ユーラシアは、モンゴルの脅威と戦っていた。

周辺部族を統一してモンゴル帝国を構築したチンギス・ハーンは、「自分たちこそが世界最強の軍隊である」ということを、人生の早い段階で気付いていた。

遊牧民族の移動スピードは、農耕地を収入源とする巨大国家を大いに翻弄した。農耕民族の軍隊は、あまり遠くへ軍を送り込むことができない。だが遊牧民族は、その土地その土地に居を構えてしまう。モンゴル軍が強いのは当然だった。

モンゴルの侵攻を止めることは、どの国家にもできなかった。それは日本も同じである。『元寇』と呼ばれる2回の日本侵攻、すなわち『文永の役』と『弘安の役』だ。

日本史上、外国勢力からの侵略はこれが初めてというわけではないが、当時世界最大の船団が日本を襲ったという、未曾有の出来事に朝廷も鎌倉武士も驚愕した。

だがその中で、己の豪快な生き様を貫き通し、それを後世にも伝えた男がいる。

竹崎季長。肥後出身の御家人である。