IT/テック

【クルマを学ぶ】第二次世界大戦は「小型車戦争」 ジープとモータリゼーション

「バケツ自動車」の活躍

小型四輪車の戦場での可能性に一番早く気付いたのは、ドイツである。

ナチス総統アドルフ・ヒトラーは、ドイツのモータリゼーションを促進させると同時に、ヨーロッパのあらゆる地形を走破できる万能型の車両の開発に熱を入れていた。これはもちろん、己の野望のためだ。草原だろうと砂浜だろうとアルプスだろうと未舗装の街道だろうと、とにかく場所を選ばない小型車が、当時のドイツ軍には必要だった。

ヒトラーはあの“変人博士”フェルディナント・ポルシェに命じ、軍用四輪車を開発させた。それが『キューベルワーゲン』だ。

フォルクスワーゲン・ビートルをベースに作られたこの車両だが、形状はまるで四角いバケツのようだ。現に『キューベルワーゲン』とはつまり“バケツ自動車”という意味である。プレス加工されたボディー素材を組み立てるというやり方のほうが、もちろん生産性がいい。そして軽量化ができる。

だから『キューベルワーゲン』は、決して出力の高くないエンジン(排気量985cc)を積んでいるにもかかわらず整地で80キロ以上の速度を出した。さらに四輪駆動車ではないものの、走破性の面でも良好なテスト結果を出した。これを見て喜んだヒトラーと兵器局は、すぐさま量産命令を出す。すでに第二次大戦が始まった1940年の話だ。

意外なことだが、この1940年の時点でドイツ軍の輜重はなおも軍馬頼みだった。ドイツ本国から戦線に近い鉄道駅までは貨物列車が物資を運び、駅からは大型トラックが各師団の司令部か補給拠点まで赴く。そこから最前線までは、軍馬を使った輸送だ。車両もあったが、まだ数が足りない。

現代ではあり得ないことだが、第二次大戦初期の軍隊は重輸送より軽輸送のほうが移動速度が遅かったのだ。もちろん、それでは作戦行動に様々な支障が出てしまう。

だからこそ『キューベルワーゲン』は戦場で重宝されたのだ。

そしてこの様子を、1941年まで中立国だったアメリカがじっと見つめていた。

 

ジープの大量生産

当時、世界で最も高度なモータリゼーションを成し遂げていたアメリカだったが、軽輸送やその他の細かい任務に使える軍用小型車がないという悩みは他国と同じだった。

だからこそアメリカは、『キューベルワーゲン』以上の車両開発に着手した。しかもそれは四輪駆動車だ。我々現代人はその車両を、『ジープ』という名前で呼んでいる。

source:http://www.shutterstock.com/
source:http://www.shutterstock.com/

大戦中に量産されたジープは数種類あるが、主たるものは2種類のみだ。ウィリスMBとフォードGPWである。この2種は細かい相違点はあるものの、その仕様はまったく同じである。当然、部品の互換も可能だ。

『ジープ』の生産ラインはフル稼働を命じられた。この辺り、圧倒的な物量を生かして敵国を押し潰すアメリカの姿がはっきり出ている。大戦期間を通した『キューベルワーゲン』の生産台数が5万台強に対し、『ジープ』のそれは何と65万台である。

もっとも、大戦後期になるとヒトラーは小型車の量産に力を入れなくなったという要素もある。筆者は先日、フェルディナント・ポルシェについての記事を手がけた。その中でも紹介したことだが、ヒトラーは“少数でも戦局を覆すことのできる巨大兵器”を妄想するようになった。陸軍の名将ハインツ・グデーリアンはそれに大反対し、最前線に配属されている他の将軍たちも「奴は発狂したのか」と呆れ果てた。

だが結局、ヒトラーの暴走は止まらなかった。

こうしてドイツは敗北の道をひた走っていく。

 

力強いクルマに憧れた日本人

アメリカ軍の『ジープ』は、敗戦直後の日本人に絶大なショックをもたらした。

進駐軍の乗り回すあの緑のクルマは、山の上にある神社の石段を駆け上がるそうじゃないか。ろくに舗装されてもいない我が国の道路を、あの『ジープ』とやらは平気で走り回るし故障もしない。そんな化け物みたいなクルマを、アメリカという国は何万台も量産したらしい……。

旧日本陸軍も、『ジープ』に近い用途の小型車両を生産していた。昨年クラウドファンディングサイト『READY FOR?』で復元プロジェクト資金調達に成功した、『くろがね』四起”の愛称で知られる九五式小型乗用車がそれだ。国産初の四駆車で、非常に良好な走破性能を発揮した。だが、その生産台数は5,000台にも及ばない。

ドイツ軍はヒトラーの妄想に振り回されていたが、日本軍の場合は言わば“割り当て主義”という重しを背負っていた。それぞれの部署同士が話し合いで決めた生産数の割り当てに沿って、兵器の増産が行われる。そこまでは他の国と同じかもしれないが、日本人はたとえ情勢に大きな変化があったとしても、一度談合で決めたことは容易に変えられないという特性がある。

『くろがね四起』はその呪縛に勝てなかった。だが、『ジープ』はそんなものとは最初から無縁だ。日本人は、2発の原子爆弾を投下した憎きアメリカ軍のクルマに“果てしない自由と力強さ”を見た。

その時抱いた複雑な感情が、のちの自動車大国としての大いなる道標になったのだ。第二次大戦は人類にとっての究極の悲劇に他ならないが、我が国のモータリゼーションは計らずもそこから起因している。

(前回の『クルマを学ぶ』はこちら)
※ 【クルマを学ぶ】フランクフルトモーターショーに見るSUVトレンドの象徴はベンタイガ!次世代コンセプトにも注目
https://nge.jp/2015/09/24/post-118299/

 

【参考・画像】

※ ポルシェ博士とヒトラーの「VW計画」 

※ 米独の軍用車、ジープとキューベルワーゲンを比較してみた【ジープの機能美展2012】 – clicccar

※ 70年の時を越えて、幻の国産車「くろがね四起」復元計画始動! – READY FOR?

※ magicinfoto / Shutterstock

※ PeterVrabel / Shutterstock

【関連記事】

※ 【クルマを学ぶ】大気汚染の王様「トラバント」の悲劇的な運命

※ 70年前のハイブリッドカー!? 「変人博士」フェルディナント・ポルシェの足跡

※ 都内初登場!ロンドンの薫りがするクラシカルな「想い出タクシー」

※ EV・PHVの補助金強化!次世代エコカーの普及が加速するか

※ ポルシェがEVコンセプト「Mission E」をワールドプレミア!