国家による選手育成の裏で
スポーツの歴史は、ドーピングとの戦いの歴史と言ってもいいかもしれない。
かつて、ドイツ人民共和国という国があった。一般には『東ドイツ』と呼ばれている。その東ドイツは冷戦時代、ソビエト連邦の傘下にあった。だがスポーツに関しては盟主であるソ連に並ぶ活躍を見せている。
特にオリンピックに関しては、夏と冬合わせて519個ものメダルを獲得している。
それはすなわち、英才教育の賜である。全国各地の幼稚園や小学校にスカウトを巡らせ、才能のある子を奨学金付きでスポーツ学校に転入させる。
そこで四六時中競技漬けのスパルタ教育を施し、勝ち残った生徒をさらに“強化”させる。
ここで言う“強化”とは、投薬のことだ。現代ビジネスの記事に東ドイツのドーピングについて書かれた記事があるので、紹介させていただこう。
<犠牲者は皆、スポーツが大好きで、オリンピック選手を夢見てハードなトレーニングに励んだ青少年だった。
12歳のときから服用していたというある体操選手は、“午後のトレーニングで、力がみなぎるように感じた”と語っている。そんな彼に、コーチは安全ベルトなしで危険な技を練習させた。
その結果、まず左腕を折り、次に右腕を折り、最後に肩甲骨がバラバラになった時点で、体操をあきらめた。夢が壊れ、失望は大きかった。
しかし、彼の場合、そのおかげで経口トゥリナボールから離れることができた。練習場では、事故が非常に多かったという。(現代ビジネス2014年11月14日付記事より引用)>
エリートコースから脱落した少年少女は、結果的に幸運であった。
逆に大会で結果を出し続けた選手は、今も投薬による後遺症に悩まされている。
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