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【インドネシア市民と日本観光・後編】スキーリゾート再生への道

バブルの後遺症

日本のスキーリゾートは、バブルという異常な時代に異常な発展を遂げた。

だがそれは、凋落が決定づけられた形の発展である。80年代末のスキーブームは、観光業者が黙っていても客が来るという状態だった。

リゾート地区につながる道路は大渋滞を起こし、ゲレンデに到着してもまともに滑る場所すらないほどの集客。女子トイレは1時間待ち、リフトは3時間待ち、そしてホテルの予約は1年待ちだった。

にもかからわず、ゲレンデに併設されたレストランのメニューは、美味くもないカレーライスとラーメンとビールだけという、営業努力とはまったく程遠い有様だった。

それよりも、新しいゲレンデやペンションの粗製濫造に力点が置かれ、地元の集落にまで地上げ屋が現れたほどだ。

結果、地元にはリフトの残骸と廃屋しか残らなかった。

 

営業努力の存在しないビジネスは、“ファストマネー”しか稼げないということを知った時点で、もはや手遅れだった。バブル崩壊から長く続いたデフレは、人々に1年先のホテルの予約よりも今月の家計簿の中身を優先させた。

カレーライスとラーメンしか作れなかったレストランは、当然ながら次々と消滅した。

90年代に訪れたスノーボードブームも、スキーリゾートを復活させる手段には遂になり得なかった。バブル期の放漫経営の罪は重く、同時に旅行業界に深刻な後遺症を与えたのだ。

だが救いの手は、遥か彼方の南国から差し伸べられている。