スペック面は順当な進化
まずはスペックだ。正直、スペック面は、順当な進化を遂げているだけに過ぎない。重量が初代より約35%軽量化し、厚みも半分以下になっている。
Retinaディスプレイ化やカメラの搭載、端子の変更やプロセッサメモリ量の増加、Touch IDの搭載など全てiPhoneの真価に準ずる形で進歩してきているに過ぎない。
ただ、今年発表された『iPad Pro』はその限りではない。
今までiPhoneの一歩先をいくスペックを作り続けてきたiPadであったが、『iPad Pro』ではその何歩も先の、Macと肩を並べるまでの性能をもったマシンとなったのである。
iOS機でありながら、Macすら凌ぐ性能のマシンは作ることができる。それが明らかになるとさらにタブレットは今後PC、Macと同化していくのではないか。
そんなことが、5年目にして出てきた『iPad Pro』からは感じることができるだろう。
タブレット文化の牽引
次に考えられるのが“文化”だ。
『iPad』がここ5年で作り上げた一番の功績は、製品でも、サービスでもなく文化ではないだろうか。
そもそも、世の中にタブレット端末がほぼ普及していなかった状況から、これだけタブレットを当たり前に使う世界に変化させた立役者は、何を隠そう『iPad』に他ならない。
この裏側にはApp Storeの存在も大きく影響している。『iPad』を発売日に購入して使い始めた筆者が最初に感じたことは、iPhoneに比べ圧倒的にアプリが少ないことであった。
ゆえにできることがあまりなく、『iPad』を何に使うか頭を悩ました覚えがある。
iOSデバイスは「アプリの数=できることの数」といっても過言ではないことを考えれば、現在のアプリのラインナップはそのまま『iPad』の成長の記録といえる。
Officeにも対応し、本格的なお絵かきや、写真の現像も可能で、多種多様な電子書籍も読むことができる。
ここまでタブレットが活躍する状況を作り出したことこそが、『iPad』の真価といえるのではないか。
Next iPad、今後の展開は