
テスラモーターズの自動運転車による死亡事故は、世界のテクノロジーニュースを大いに賑わせている。
さまざまな報道がなされているが、ひとつだけはっきり言えるのは「現在実用化されているシステムは自動運転“補助”装置である」という当たり前の事実だ。事故の責任をシステムに求められるほどの技術はまだ試験段階で、テスラ車の「オートパイロット」とはあくまでもドライバーをサポートするためのものに過ぎない。
今回の死亡事故は、そうした「当然」を図らずも人々に認識させることとなった。
国交省の声明
この事故はアメリカ国内でのものだが、我が国の国土交通省の反応は極めて早かった。
国交省は報道関係者向けに声明を出している。その中にこんな一文がある。
5月に米国において事故が発生したテスラの「オートパイロット」機能を含め、現在実用化されている「自動運転」機能は、運転者が責任を持って安全運転を行うことを前提とした「運転支援技術」であり、運転者に代わって車が責任を持って安全運転を行う、完全な自動運転ではありません。(国土交通省 平成28年7月6日付報道発表より抜粋)
「オートパイロット」や「自動運転」という単語に、いちいちカッコ付けをしなければならないほど話がややこしくなっている。つまりこれらの通称は誇大広告のようなもので、車内の人間がハリー・ポッターを鑑賞していても差し支えない自動車はまだ公道を走っていないということだ。
「試験段階」の完全オートパイロット車
その一方で、日本でも完全自動運転の小型バスの運行が始まった。こちらはドライバーにない、本当の意味での「オートパイロット」である。
イオンモール幕張新都心の隣に、豊砂公園というところがある。DeNAが運行を手がける『ロボットシャトル』は、この豊砂公園を走行する。無論、ここは私有地だ。先述の通り、今現在は自動運転車が公道を走る段階には至っていない。
仮に豊砂公園での運行の際、死亡事故が発生したらオートパイロットテクノロジーにとっては一大事である。公道試験走行の実現は大幅に遅れるに違いない。そうならないよう、エンジニアは毎日地道な研究を積み重ねている。
今現在がまだこの段階なのだから、テスラ車の死亡事故は「起きて然るべきだった」と言う他ない。もちろんこれは、亡くなったドライバーを冒涜しているわけでは決してない。メーカーもユーザーも、事故を発生させないための警戒心と謙虚さが必要だったということを述べているのだ。
メディアの役割を見直す
そうしたことは、テクノロジーメディアにも当てはまる。「現状の冷徹な観察」が、プレスリリースを巷に伝える側に求められるのだ。
テスラモーターズの言う「オートパイロット」が、果たして文字通りのものなのか? それを検証するのはテクノロジーメディアの役目である。これがコカ・コーラの新商品とか、ゼブラの新しい文房具だというのならどのように書いてもほとんど問題は発生しない。
だが、自動車は人の命を乗せる道具である。「人間は常に生身である」ということをメーカーはどれだけ考慮しているのか、それを見極めることも重要になってくるのだ。
【参考】
【動画】
※ US driver killed while self-driving Tesla car on autopilot CCTV News – YouTube