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我々には創造者に刃向かう力がある。~リチャード・ドーキンス【科学者の智慧 vol.08】

クリントン・リチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins)……1941~。イギリスの進化生物学者。「生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない」とする利己的遺伝子論で進化生物学に大きな波紋を投げかけた。

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Source:https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ARichard_Dawkins_Cooper_Union_Shankbone.jpg

なぜ男は浮気をするのか?

ドーキンスの著書『利己的な遺伝子』には、「なぜ男は浮気をするのか?」など、ちょっとドキッとさせられるフレーズが数多く登場する。

「なぜ世の中から争いがなくならないのか?」など、直感的になんとなくわかるような、しかしよく考えてみると根源的なことは誰にもわからないようなモヤモヤを小気味よく解説して世界的なベストセラーになった。

ドーキンスが利己的遺伝子論の始祖というわけではないが、この本が非常に売れたため、今日では実質的に彼が利己的遺伝子論のオーソリティということになっているようだ。

利己的遺伝子論とは、要するに「人間を含むすべての生き物は利己的なようであるが、利他的な側面もある。自分を犠牲にして組織のために働いたり、自分が損になるようなことをしたりする。それは、生き物が『個』ではなく『遺伝子』を主として働いているからだ」という考え方だ。

しょせん、生き物は遺伝子の乗り物でしかない。人間もまた然り。「個」である自分が犠牲になっても、結局は自分と同じような遺伝子を持つグループ全体のためになれば、それで遺伝子は満足なのだ。利己的遺伝子論ではそういう考え方をする。

私たちが「人間の素晴らしさ・美しさ」だと賞賛する多くの行為も、しょせん遺伝子の都合で「やらされている」のに過ぎないというのだ。

「そんなバカな! 自分は自分だ。遺伝子の乗り物なんかじゃない!!」 ついそう言いたくなる。

人を好きになるのも、我が子が可愛いのも、すべては遺伝子に命じられているからだという理屈は、頭では理解できても感情的には納得しにくい。この本に対しては批判の声も強いのだが、理由はそのあたりにありそうだ。

DNAに支配されない「もうひとつの遺伝子「ミーム」

しかしその一方で、ドーキンスは「ミーム」についても触れている。

ミームとは文化的遺伝のことだ。遺伝子のような物理的な構造は持たないが、知識の伝達、文化の伝播など、人間は自分の知を他者に伝達し、集積・改良していく能力を持っている。

血のつながりには関係なく、人類はDNAには決して支配されない「もうひとつの遺伝子=自己複製子」を持っているという考え方だ。

ドーキンスは『利己的な遺伝子』のなかでこのような趣旨のことを言っている。

「我々は遺伝子機械として組み立てられた。しかし我々には創造者に歯向かう力がある。唯一人間だけが遺伝子に反逆できるのだ」

確かに個々の人間は遺伝子の制約を受ける。しかし、いま人類はゲノムサイエンスを急速に進化させている。いずれは人間が遺伝子を自由に操作できる時代がくるのかもしれない。また、人間の頭脳の限界もいずれAIが克服するだろう。これこそがドーキンスの言う「遺伝子への反逆」ではないだろうか。

 

ただ筆者は、ついこんなこともポツリと考えてしまうのだ。

 

「ゲノムサイエンスもAIも、すべては利己的遺伝子がさらに自分の領域を拡張するため、人間をうまく利用しているのだとしたら……?」

 

 

【写真】

https://www.flickr.com/search/?q=Richard%20Dawkins

Secular Psychedelic:Richard Dawkins

【参考】

利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス