
「日本人の可能性の極限」と言われた天才
南方熊楠(みなかた・くまぐす)……1867~1941。和歌山県出身。粘菌の研究で知られる菌類学者だが、博物学や民俗学など多方面にわたって業績を残す。記憶力に優れ、18の言語を操り、柳田國男をして「日本人の可能性の極限だ」と言わせた万能型の天才。
「熊楠」という珍しい名前は、故郷・熊野の「熊」と、藤白神社という神社の境内にある楠の古木から「楠」から取ったもの。体の弱かった熊楠が丈夫に育つよう、この二文字を授かったという。
子どもの頃から抜群の記憶力を発揮し、東京大学予備門(予備教育機関)に進むもノイローゼになり中退。父親を強引に説き伏せてアメリカに留学する。植物採集のフィールドワークを続けるうち粘菌の面白さに取り憑かれ、アメリカ各地を転々とした後に中南米を旅行する。
アメリカでの研究が一段落したので渡英。イギリスを代表する科学雑誌『ネイチャー』の懸賞論文に投稿した初論文『極東の星座(熊楠の本来の研究領域とは無関係)』でいきなり1位入選し、「ミナカタ」の名前が欧米の科学者の間で知られるようになる。
大英博物館を訪ねた熊楠は、その博識ぶりと見聞の広さを買われ、東洋調査部員として採用される。大英博物館で働くかたわら、熊楠はこれまでに採集した植物標本の研究をまとめ、せっせとネイチャー誌に寄稿した。
しかし、当時のイギリスではまだ東洋人に対する差別があった。気の強い熊楠はよく同僚と衝突し、何度か暴力事件を起こした末に大英博物館を追放されてしまい、やむなく帰国した。国費留学生1号の夏目漱石がロンドンにやって来るわずか1カ月前のことだ。
権威が大っ嫌い!
当時、日本人にとって論文がネイチャー誌に掲載されるなど夢のまた夢。そして大英博物館で勤務したという実績もあり、熊楠は本人さえ望めば、相応の大学や研究機関などに迎えられて当然だった。
しかし、熊楠は堅苦しい肩書きを嫌い、和歌山に居住して市井の民間学者としての生涯を全うする。
いくら海外で実績を積もうと、日本に帰れば学歴はないし学位もない。にもかかわらず、相変わらず論文はネイチャー誌に掲載されるし、世界的評価は高い。当時の日本の「権威」である学者や大学教授などから見れば、熊楠はこのうえなく目障りな存在だったに違いない。いろいろな嫌がらせもあったようだ。
もちろん、大学や研究所への就職を世話しようとしてくれる人もいる。しかし、「肩書きがなくては己れが何なのかもわからんような阿呆共の仲間になることはない」と、熊楠はけんもほろろに紹介を断り、熊野の野山を駆け巡り、大酒を飲み、論文を書き続けた。
昭和天皇にキャラメルの箱を献上!?
さて、そんな熊楠に影響を受けたひとりの生物学者がいる。
昭和天皇である。
昭和天皇は赤坂離宮や皇居内に生物学御研究室を創設し、変形菌類(粘菌)とヒドロ虫類の分類学的研究をなさっておられた生物学者でもある。あるとき粘菌学の権威・リスター女史の『粘菌図鑑』を読んでいたら熊楠の名前を発見し、ぜひ会ってみたいと思った。
熊楠は陛下への進講を了承し、田辺湾沖合の神島(かしま)行幸の際に粘菌や海中生物に関する講義を行う。1929年のことだ。
講義を終えた後、熊楠は粘菌の標本を陛下に献上した。
このとき、熊楠はなんと標本をキャラメルの空き箱に入れて陛下に差し出した。
いくら熊楠が反骨の人だからといって、昭和天皇に対して敬意を払わないということはない。事実、この日、熊楠は新調したフロックコートを着て陛下を迎えている。
実は、標本を献上するにあたって、熊楠は立派な桐の箱をいくつもこしらえさせたのだ。しかし手先の不器用な熊楠は、桐の箱のフタをうまく開けられない。そこで仕方なく、使い慣れたキャラメルの箱に標本を収めて献上したのだった。
標本を差し出した時、周囲はアッと驚いたが、陛下は笑いをこらえて標本をお受け取りになったという。そして周囲に「面白い男だ。標本をキャラメルの箱に入れたっていいじゃないか」と、熊楠に好感をお示しになったという。
また、熊楠も熊楠で陛下のことを「普通の家に生まれたら立派な学者になっていただろう」と、彼一流の表現で讃えた。
33年後、陛下が和歌山県を訪れた際、こんな歌を詠まれた。
「雨にけぶる神島を見て、紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
この文を書きながら、僕も熊楠を、そして熊楠と陛下の友情を思う。
こんな清々しい、そして一途で魅力的な学者はちょっと他にいない。
南方熊楠記念館:南方熊楠
http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/kumagusu/index.html
【参考】
あの人の人生を知ろう! 南方熊楠
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic32.html
南方熊楠と科学雑誌『ネイチャー』
http://www.tamy.net/kumagusu/kahaku_news_450_Nature.html
『自由のたびびと 未南方熊楠』 三田村信行・PHP研究所