IT/テック

貧困層の子どもたちにパソコンを与えることが、教育問題解決となるのか?

kenya-young-maasai-student-in-primary-school
Photo credit: Dietmar Temps via Visual Hunt / CC BY-NC-SA

 

発展途上国の貧しい子どもたちに、パソコンやタブレットを提供する。その目的はもちろん、現地の教育の質を向上させるため。

たとえば、東京の一室とアンゴラの農村部の学校をネット回線でつなぎ、遠隔授業をできるようにしたらアンゴラの社会問題はあっという間に解決するだろうか? アンゴラは長く続いた内戦の後遺症が今も残り、農村部では識字率が低い。それがこの国の大きな課題となっている。

ならば、アンゴラにタブレットとWifi環境を導入しよう。そうすれば、この国はより良くなるに違いない。

そうした考えは、じつは極めて安易なものである。

 

問題は「道具の使い道」

最近、こんな本が書店に並ぶようになった。

タイトルは『テクノロジーは貧困を救わない(みすず書房)』。書いたのは外山健太郎氏という日本人である。かつてマイクロソフトの社員だった人物だ。

futurus-1128-hon1

 

外山氏はその著書の中で断言する。最新のガジェットを発展途上国の小学校に送っても、問題解決にはまったく寄与しないと。

詳しくは実際に本を読んでいただく必要があるが、ここで敢えて一言に集約するなら「世の中、のび太のほうが出木杉くんよりも圧倒的に多い」ということだ。

ドラえもんが出した22世紀の道具を、のび太はじつにくだらないことにしか使わない。出来杉くんにどこでもドアを渡したら「これからマヤ文明の遺跡へフィールドワークに行く」と言うだろうが、のび太の場合は「これさえあれば学校に遅刻しない」と胸を張る。そしてこの世界、のび太のような発想の人間が多数派なのだ。

 

ゲームしかしなくなった!

外山氏はかつて、インドで貧困層の子どもにIT教育を提供するプロジェクトに携わっていた。

1台のパソコンを複数人が使えるようにすれば、効率の良い授業ができるはずだ。もちろん、そのためのプログラムもあらかじめ提供する。

ところが、そのプロジェクトは結果的に頓挫したという。その最大の理由は、子どもたちがゲームしかやらなくなったということだ。

これはインドに限らない。世界中どこでも、子どもにパソコンかタブレットを渡したらゲームやSNSばかりに時間を割く可能性が極めて高い。せっかく用意された学習プログラムなどはそっちのけだ。そういうことが起こるから、学校教師は自分の学校にIT機器が導入されることを嫌がる。

 

かつてあった「教育イノベーション」

だがこれは、考えてみれば「当たり前の話」である。

「人は誰しも向上心を持っているから、道具さえ与えてやればちゃんと勉強する」というのは苦労なく一流大学に進学した金持ちの発想だ。筆者のような平民などは、物心ついた時から文明の利器を何でもくだらない遊びにつなげるように思考が根付いている。

それに、「最先端テクノロジーによる教育イノベーション」は今に始まったことではない。日本ではテレビ朝日とテレビ東京は、本来ならば「テレビ受像機による教育革命の先駆け」になっているはずだった。この2局はそもそも、「家にいながら学校の授業が受けられる」というコンセプトの教育番組だけを放映する目的で創設された。

テレビ朝日(旧NET)の創設は1957年、テレビ東京(旧東京12チャンネル)のそれは1964年だ。つまりその頃の政治家や学者は「テレビは教育問題を劇的に改善してくれる」と考えていたわけで、だからこそこの2局には「教育番組しか放映しない」という条件付きで放送免許を与えたのだ。

 

長嶋と馬場が粉砕した「教育革命」

だが、教育番組ばかりのテレビ局はすぐに赤字地獄にはまった。

60年代後半の日本の映像放送は、プロ野球の巨人戦とジャイアント馬場を筆頭にした日本プロレスが常時30%台の視聴率を稼いでいた。おまけに巨人戦とプロレスは共に日本テレビが独占していて、プロレスは野球の試合がない金曜夜8時に放映していたから付け入る隙間などどこにもなかった。ついでに言えば、人々が暇になるであろう日曜日には野球のダブルヘッダーが組まれていた。

庶民階級の子どもたちは、真面目一徹な教育番組など選ばない。視聴するに足るのは王・長嶋の活躍であり、馬場・猪木の勇姿である。それを骨の髄まで思い知ったテレビ朝日は、「教育一本路線」を放棄した途端に日本プロレスに接近した。馬場と猪木の試合がそれぞれ別の局で放映されていた理由は、そこにある。

インターネットも、それとまったく同じだ。子どもたちの「本当に勉強したい」という意思なくして、プログラムは真価を発揮しないのだ。外山氏の言葉を借りれば「人そのもののアップグレード」が必ず求められる。

今現在も、有名政治家が「貧しい子どもたちにモバイル機器を」と無邪気に唱えている。だが、その先にあるものを本当に見据えているのだろうか? 教育に必要なものはまず第一に優秀な教師であり、テクノロジーは彼らを支援するための道具に過ぎない。

そうしたことを考える上でも、『テクノロジーは貧困を救わない』は必見の書である。

 

【参考】

※ 外山健太郎(2016)『テクノロジーは貧困を救わない』(みすず書房)