日本ではあまり知られていない「MOBA」というコンピューターゲームのジャンルが存在する。“multiplayer online battle arena”の略で、早い話が「陣取り合戦」だ。
左右対称のフィールドには、両チームの陣地が同じ数配置されている。プレイヤーは仲間と協力しながら自陣を守りつつ、敵陣を攻撃する。ここで言う「仲間」とは、基本的に地球上のどこかに実在するオンラインユーザー即ち人間であり、MOD(プログラム)ではない。
このMOBAが、世界を大きく変えようとしている。
インドネシアとMOBA
インドネシアでは『モバイル・レジェンド: Bang Bang』(以下モバイルレジェンド)というオンラインゲームが大人気だ。
これはインドネシアのジョコ・ウィドド大統領が息子とプレイしたゲームとしても知られている。2018年10月10日に配信されたTempo.coの記事(※1)にも、ジョコ大統領が息子にモバイルレジェンドを教わっていること、このゲームをプレイしているeスポーツプレイヤーと面会したことが書かれている。
モバイルレジェンドは、性能の異なる「ヒーロー」を各プレイヤーが選択し、5人のチームを編成する内容。無論、相手も5人チームだ。ヒーローは耐久力に恵まれたタンク型、攻撃力の高いアタック型、回復技能を有するサポート型等が存在し、それぞれの特性を考慮して戦略を立てていく。
単に敵陣へ突っ込むだけではやられてしまう。フィールドに点在する敵キャラ(相手チームのヒーローではない)を倒し、経験値を稼ぐとレベルアップしていく。相手よりもはやくレベルを上げていけば、より有利に戦うことができる。
モバイルレジェンドは、恐ろしく奥の深いゲームなのだ。
これがインドネシアで人気を博している。いや、もはやそれどころではない。現地メディアsuara.comによると(※2)、モバイルレジェンドの全世界月間アクティブユーザー数は既に9,000万人に達している。7,000万人は東南アジアからのアクセスで、さらにそのうちの約50%はインドネシアのユーザーである。
インドネシアの人口は2020年時点で2億7,000万人(※3)。その中の4,500万人ということだから、割合としても恐ろしく高い数字だ。
興味深いことに、suara.comの記事には島ごとのアクティブユーザー数の割合も記載されている。首都ジャカルタを含む大都市を有するジャワ島はやはり一番割合が高く、52.65%。続いてスマトラ島が29.38%と続く。カリマンタン島が7.41%、スラウェシ島が6.29%、バリ島が3.73%となっている。
ここで注目すべきは、ジャワ島以外の島の現状である。
モバイルレジェンドの「恩恵」
6月、現地のeスポーツ業界でこのような話題が取り沙汰された。
ブンクル州ムコムコ県の知事が、ムコムコでモバイルレジェンドやその他のオンラインゲームをブロックするように情報通信省に嘆願したという話題だ(※4)。
インドネシアでも日本の地方自治体と同様に「ゲームは不健全」と見なす動きもあるが、問題はムコムコ県という自治体がインドネシアのどこにあるかということだ。ここはスマトラ島西海岸沿いの地域で、州都ベンクルからクルマで約6時間離れた場所に位置する。そのようなところにもMOBAをプレイできるだけのインターネット設備がある、という点に注目しなければならない。
モバイルレジェンドを始めとしたMOBAは、一度試合を始めたら勝手に退場できないゲームだ。
もちろん回線の不具合で途中切断という事態もあるだろうが、それが立て続くと他のプレイヤーに報告されて当分の間ランクマッチに参加できないようになってしまう。「安定したオンライン環境下にいる」というのは、基本的にはプレイヤー側に課せられた義務だ。東西に火山島が広く分布するインドネシアにおいて、ネットインフラの整備は決して簡単なことではない。島の中央にそびえ立つ山脈を越えながら、地元住民を説得して施設を建てる。しかし通信会社もビジネスでそれをやっているから、その地域での採算即ち通信量が見込めなければ工事など行わない。
このようにインドネシアでは、地方においてもオンラインゲームの存在感が大きくなっているのだ。
インドネシア発のMOBAタイトルも成長
2019年、インドネシアでは「Piala Presiden(大統領杯)」が開催された(※5)。
これは何の大会か。無論、オンラインゲームである。その名前の通り、中央政府や各省庁の支援を受けている。2019年はモバイルレジェンドが種目に選ばれた。
インドネシア全土で予選を行い、そこで勝ち抜いたチームをジャカルタに呼んで戦わせる。つまりこれは、eスポーツの全国大会だ。決勝戦の会場には多くの観客が詰めかけている。
モバイルレジェンド自体が、今や「人気競技」なのだ。
ただし、インドネシアのゲーム関係者はこの現状を最良とは見なしていない。
モバイルレジェンドの開発元であるMoontonは中国企業、即ちインドネシアからみれば外資だ。インドネシアという国は昔から“内資優先主義”ともいえる政策で知られ、スマホやタブレットといった現代人に必須の電子機器にもTKDN(国内部品調達率)が課せられる。これはあのAppleの製品にも例外なく適用される。
となると、ソフトウェアに関しても「極力国内で開発しよう」という考えになる。モバイルレジェンドに対抗できるMOBAがインドネシアから登場すれば、それに越したことはない。
そこで注目されているのが『Lokapala』というインドネシア国産MOBAタイトルだ。
Lokapalaはモバイルレジェンドに比べたら、まだまだユーザー数が少なく影響力も小さい。しかし、着実に成長しているのも事実である。そしてインドネシアのゲーム関係者にとっての「第一目標」とは、国産タイトルの国外ユーザー数増加にほかならない。“内資優先主義”とは、簡単に表現すれば“輸入よりは輸出”だからだ。
ハードを売るためのソフト
テレビ受像機というものが市販化されたばかりの時代、「それで何を放映するか」ということが問題になったといわれている。
当時のテレビは、もちろん不鮮明な白黒テレビである。しかもその画面は決して大きくはない。ドラマを見るならテレビではなく、映画館に行ったほうがいい。ニュースも音楽もラジオで聞けば事足りる。そもそも、ベンチャー企業に過ぎないテレビ局には手の込んだ番組を作れるほどの予算などない。
だからこそ、テレビ黎明期の唯一のキラーコンテンツはスポーツ番組だった。
ところが、中継車もVTRもない時代である。スタジアムの照明施設も貧弱だから、野外スポーツのナイトゲームはまず不可能。するとできるのは屋内スポーツしかない。それもオフシーズンという概念のない、テレビ局の都合でいつでも開催できる競技に限られる。
ボクシングならいいかもしれない。リングを置けるスペースがあれば実行できるからだ。ところが、ボクシングは「予定より早く終わってしまうかもしれない」という欠点がある。1986年7月24日の浜田剛史VSレネ・アルレドンド戦のように、たった1ラウンドでKO決着してしまったら残りの尺は何を流せばいいのか? 試合の即時録画もできなかった時代、ボクシングは気軽に放映できる競技ではなかったのだ。
残ったのはプロレスだけだった。
少人数での試合中継が可能で、しかも予め決めた時間ピッタリに終わってくれる。故にアメリカでも日本でも、街頭テレビが映し出すのはプロレス中継だった。大相撲を辞めてプロレスに転向した力道山は、昭和20年代の大相撲本場所をカラーフィルムで撮影した男である。彼は映像プロデューサーとして優れた感性と先進性を持っており、当然ながら上述の理屈を熟知していた。
このような「ハードを売るためにソフトを充実させる」という発想は今では当たり前だが、当時としては極めて斬新なものだ。
インドネシアにおけるオンラインゲームも、それと全く同じ発想の下にある。
「スタートアップの代表格」Gojekとは?
面白いソフトは、結果としてハードを普及させる。
インドネシアでのMOBAの大人気と、スマホアプリを使ったサービスを運営するスタートアップが雨後の筍のように登場していることは、決して無関係ではない。MOBAができるほどのネット環境があれば、それを使ったビジネスもできるからだ。
インドネシアでの「スタートアップの代表格」といえば、Gojekである。インドネシアには「オジェック」と呼ばれるバイクタクシーが存在するが、それをオンラインで呼べるようにしたサービスだ。要は「バイク版Uber」だが、Gojekの場合は『GoPay』という独自のキャッシュレス決済銘柄も作ってしまった。
インドネシアでは「小銭不足」が社会問題になっている。1万数千ルピアの買い物に10万ルピア紙幣を使ったら、取引自体を断られる可能性すらある。釣り銭がないからだ。しかし、スマホ決済であればその心配はいらない。GoPayは手軽な決済手段として市民に受け入れられ、今やインドネシア全土を巻き込む巨大経済圏を構築している。
2019年、Gojekはゲーム用クレジットの購入やゲーム攻略情報を提供するプラットフォーム『GoGames』をローンチした(※6)。これは日本のPayPayのように、ひとつのアプリ内に組み込まれた機能でもある。つまりバイクタクシーやフードデリバリーに使うのとまったく同じアプリで、ゲームへの課金ができるということだ。
もしも日本のPayPayが「アプリ内ゲーム課金プラットフォーム」を作ったら、大きな話題になるだろう。しかし、それをGojekは2年も前に達成しているのだ。このあたりで日本はインドネシアに遅れている、といってもいいだろう。
しかしそれも、盤石なオンライン環境がなければ叶わぬ夢だったに違いない。ネットインフラを整備するためには、一般市民に対して「ネットはこんなに便利で楽しいものだ」ということを説明しなければならない。
ジャワ島の都市部であればそれも容易だが、ジャカルタから遠く離れた農村部や島嶼部ではどうか。そもそもインドネシアでの例を出すまでもなく、日本でもネットに触れたことのない高齢者に対して「ネットの楽しさ」を説明することは一筋縄ではいかないはずだ。
MOBAと地域振興、日本での可能性は?
ここまでインドネシアにおけるMOBAの影響を見てきた。大統領も関わるほど大規模に行われる国を挙げての盛り上げ、国内隅々までの情報インフラの整備やハードウェアの普及。これらの現象は、インドネシアを始めとする新興国特有の現象なのだろうか?
MOBAの流行が「より良いオンライン環境」の需要を生み出し、様々な産業に様々なインパクトを与えるという流れは、日本では起こり得ないことなのだろうか?
MOBAはチーム対戦が原則で、プレイの最中にメンバー同士の意思の疎通ができればより有利に戦えるということを、ここに記載しなければならない。MOBAの場合は固定メンバーのチームを持っているプレイヤーが強い。ということは、地元でMOBAのチームを作って大きな大会への出場を目指すということもできるのではないか?
オンラインゲームは、今やスポーツ種目である。巨額の賞金を巡って、世界中のチームが激突する。eスポーツの頂点を勝ち取る夢を首都圏でも関西圏でも中京圏でもない地方都市の住民が思い描き、地域振興のために計画を実行する……というのは飛躍した話だろうか。
ヨーロッパや南米のプロサッカークラブは、そのような経緯をたどってきたはずだ。元々は労働者が余暇を使って汗を流すチームだったが、次第にサポーターが資金を出し合ってプロ選手を招聘し、気がつけばその国で最も強いクラブになった。そしてクラブはその地域の象徴的存在になり、地場産業や行政にも様々な好影響を与えた。
それと同様の現象は、eスポーツでも発生し得るだろう。そして日本の地域活性化にも繋がっていくかもしれない。
【参考】
※1 Jokowi Learns about Mobile Legends from Son Kaesang – Tempo.co
※2 Sebaran Pemain Mobile Legends Indonesia, Terbanyak di Pulau Ini – suara.com
※3 インドネシア基礎データ – 外務省
※4 Online Games Mobile Legends, PUBG, And Free Fire Will Be Blocked? This Is What Kominfo Said – VOI
※5 【コラム】インドネシアにおけるオンラインゲームとEスポーツの現状 – インドネシア総合研究所
※6 Go-jek、インドネシアでゲームプラットフォーム「GoGames」をローンチ – BRIDGE
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