親を失った孤児たちや、様々な理由で親元を離れざるをえなかった子供たちが多数存在するタイ・ミャンマー国境地帯。子供たちは生活することすらままならず、満足な教育を受けることなど夢のまた夢。
しかし、そんな子供たちに「どんな学校があったらいい?」と聞いて回った日本人たちがいた。恵まれた日本社会から見ると悲惨としか思えない境遇に置かれた子供たちであるが、その一番多かった答えは実に無邪気なものだったという。
「空飛ぶ学校!」
孤児たちの見た夢は、実現した。
この地に必要とされる孤児院兼学校
タイとミャンマーの国境周辺地帯では、現在も紛争は続いている。両国から見捨てられ、弾圧され続けた山岳少数民族が多数存在し、同化政策を拒み分離独立を目指す一部勢力は両国政府と激しく戦ってきた歴史をもつ。
そんな辺境の地に位置するサクランブリー郡の少数民族の村に日本人たちがやって来た。その中心は”NPO輝くいのち”の玉城秀大氏と”D環境造形システム研究所”の渡辺菊眞氏だ。
学校にも行けず、生活していくことすら困難な孤児たちを何とかしてやりたい。そんな想いから彼らは孤児院を兼ねた学校を作ろうと考えた。また周辺住民にも里親として協力してもらい、目指すのは学校を中心としたコミュニティ作りだ。
校舎のデザインは、子供たちのアイデアを採用。空を飛ぶ舟のような校舎上層部は、土嚢を積んだ3つのドームに支えられている。その外見は、まるでロケットや宇宙船の後部に付いているブースターのようだ。
この地に住む彼らガリアン(カレン族)の伝統的な高床式建築を模した校舎は、地元住民も建築・修繕がし易い工法となっている。本来なら全て竹などの木材で作りたかったのだが、この地の周辺が世界遺産や自然保護区に指定され木材の伐採に制限がかかったため、鋼管を組んだ構造となった。
“天翔る方舟”と名付けられた巨大なジャングルジムのような校舎に子供たちは大喜びだ。さらには、もう一つの子供たちの要望で、大きな滑り台が付けられた。
土嚢ドームの中はひんやりとした空気と静寂さに包まれ、朝や晩のお祈りをするには絶好の場所だ。また、ドームの外は半野外空間となっている。一年を通して昼間の日差しと暑さが厳しい東南アジアでは、風通しのいい半野外スペースは重宝される。
広がる支援
2012年の開校以来、子供たちを取り巻く環境は着実に改善されつつある。噂はタイ国内のみならず世界中に広がり、多くの里親希望者や支援者が集まった。また世界中からボランティア希望者や寄付金も集まってくる。
それまでは関係があまり良好だとは言えなかったタイの警察や軍も、この学校にやってきて力仕事を無償で請け負ったりボランティア活動を行うようになった。
現在も戸籍すらもたない人が少なくない山岳少数民族は、タイ社会の大多数を占めるタイ族と華人たちに長年差別されてきた。しかし、この学校を中心とした孤児を保護するコミュニティへの支援が多くの人に広がるにつれ、タイ国民の彼らへの見方も変わりつつあるようだ。
孤児たちが夢に見たこのこの学校は、”虹の学校”と名付けられた。子供たちの頭上に架かるその大きな虹は、彼らと広い世界をつなぐ架け橋となるにちがいない。
*写真:©D環境造形システム研究所、©特定非営利活動法人 輝くいのち