私は常に勝てるわけではない
勝つためだけに闘っているわけでもない
ただプエルトリコの犬たちが闘わなくてすむように
私は闘っている
“犬死海岸”
カリブ海に浮かぶ米国自治領プエルトリコ。370万人が住むこの島の南西部にはPlaya Luciaという海岸がある。しかしこの海岸をその名で呼ぶ者はいない。人々はここを”デッド・ドッグ・ビーチ(犬死海岸)”と呼ぶ。名前の通り、ここでは毎日多くの犬たちが理由もなく死んでゆく。
病気や怪我をした犬や、虐待された犬。高級ホテルの周辺をうろついていたため捕まった犬。そんな犬たちがこの海岸にいつしか捨てられるようになった。ここに来た犬たちのほとんどは、二年目を迎えることなく死ぬという。
去勢・避妊手術が全く普及していない事情もあり、多くの仔犬も産まれる。しかし、その仔犬たちが成犬まで育つこともほとんどない。犬たちの”死の連鎖”だけが、来る日も来る日も、ここでは繰り返される。
衝撃の出来事
元プロボクサーで引退後にスタントマンに転職したボビー・ベックルスが、テレビ番組の仕事でプエルトリコを訪れたのは2007年のこと。撮影チームを乗せた車は、Playa Luciの海岸通りを景色を楽しみながらのんびりと走っていた。その時、仔犬を連れた母犬が車の前方をゆっくりと横切った。
NYから来た彼らの予測に反して、地元ドライバーは犬を避けることなく、また犬も別段車を避けることもなく、両者はぶつかった。さらに彼らを驚かせたのは、ドライバーが何事も無かったかのように運転を続けたことだった。ボビーたちはドライバーに車を止めさせ、路上にうずくまる犬の体を調べ応急処置を施し、持っていた食べ物を分け与えた。
ボビーはドライバーからの話で、ここが”犬死海岸”と呼ばれていることを知る。毎日多くの犬たちがここに捨てられ、人々はストレス発散の為ここに来て犬を虐待し、時には射撃の練習用の的となることも・・・。激しいショックを受けたボビーは、NYにいる妻クリッシーに電話をかけた。
101ポンドの福音
クリッシー(Chrissy Beckles)はNYで活躍するアマチュアのボクサー。全米最大のアマチュアボクシングの大会ゴールデングローブにおいて、ファイナリストになること三度。2005年には101ポンドの階級で全米チャンピオンに輝いた。
数多くの名選手が汗を流したアメリカ屈指の名門ジムGleason’sで練習する彼女の元に届いた夫ボビーからの電話。クリッシーはすぐにプエルトリコへと飛んだ。
そこで彼女を待ち受けていたものは、想像を絶する現実の数々。日常の風景として人間に虐待され続ける犬たち。わずかな食べ物をめぐって死に物狂いで争う犬たち。”犬死海岸”の犬たちは、ただ”生きる”だけのために過酷な闘いを強いられていた。
犬の保護施設も存在するのだが、そこに入ったら最期、次の朝を迎えることはない。この地では治療やリハビリなどという”面倒なこと”は行われず、すぐに安楽死処分されてしまう。
クリッシーは激しい衝撃を受け、すぐに行動に出た。この現実に疑問を持つ地元の人々を集め、まず現地に犬の保護・啓蒙活動をする組織を作った。毎日”犬死海岸”で犬を保護しては治療や去勢・避妊手術を施した。しかし、その犬を受け入れてくれる人がプエルトリコにはまだ極めて少なかった。
だから彼女はリングにかけた。
THE SATO PROJECT
保護した甲斐なく死んでいった犬たちの名前が刺繍されたコスチュームを身にまとい、クリッシーはリングに立った。自らが広告塔となり様々なイベントで闘うことにより、”犬死海岸”の現実を訴え、支援を求めた。その噂はNYのみならず全米中へと瞬く間に広がった。
クリッシーたちの活動は”THE SATO PROJECT”と名付けられた。SATOとはプエルトリコで”さまよえる犬”を指す言葉。保護され治療されリハビリを乗り越えた犬たちは、数週間後にはNYへ送られ、そこから里親の元へと旅立つ。そこまでにかかる費用は、一頭につきおよそ1,250ドル。
クリッシーの闘いは多くの人々の間に共感を生み、次々と里親志願や支援者が集まった。これまでに里親に届けた犬は1,000頭以上。しかし、プエルトリコには25万頭のSATOがいるという。彼女たちは現地での動物愛護の啓蒙活動に力を注ぎ、いずれはアメリカへ犬を送る必要がないようになればと願う。
世界を揺り動かせ
映画界の巨匠ロン・ハワードを父にもつブライス・ダラス・ハワードが監督した、インスピレーションに導かれアクションを起こした女性たちを綴ったショートフィルム「INSPIRED」にも”世界を揺り動かす一人”としてクリッシーは取り上げられた。その中で彼女は、世界中の多くの女性たちへ強いメッセージを伝えようとしている。
クリッシーの闘いからもたらされる”福音”が届く先は、”犬死海岸”だけではないのかもしれない。